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はた坊のブログ   家庭菜園を始めて20年目に(菜園に専念に)なりました

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2014.08.27
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ぴーまん  伏見 ししとう  万願寺

ただいま どんどん 植え付けている

m-06
04月20日 ピーマン4本と 伏見2本
g-07
04月27日 ピーマン2本と 伏見2本と万願寺2本と しし唐2本


いろいろと 合計で12本 あちこちに植えている

05月03日 黒マルチをつけておいた これで良し

苗をあちこちに植えたので どれがどれなのか ???

まあ 大きくなれば 実がつけば わかるだろう

とりあえず 全部ともに 生育中 よーーし である

06月01日 その後 花が咲きだしている
が 実ができないと まだ どれがどれなのか ??
生育はやや遅いのかな ???
きゅうり とまと なすびに比べると 小さいな

06月14日 実がつきだしたのは 伏見あまながと ピーマンなど

これは 伏見の実だなあ そろそろ 収穫できそう
06月18日 実はあちこちについている 今週の日曜には 収穫できそう

ぴーまん 伏見 万願寺 ししとう 唐辛子  5種類あるので 札をつけていこう

06月15日 ピーマン 初の収穫をしておいた
06月16日 万願寺のような 実もついてきている
06月21日 ししとう 実もついてきている
06月22日 ししとうの実の 初の収穫をした
06月22日 万願寺とうがらしも 初の収穫をした
06月28日 ピーマン2回目の収穫をした
06月28日 伏見甘長  初の実を収穫した
07月02日 万願寺 2回目の収穫をした
07月06日 伏見甘長 2回目の収穫した  しかし ちいさいなあ
07月07日 万願寺3回目の収穫をした こちらは まあまあ
07月09日 ピーマン 3回目の収穫をした  少ないままだなあ
07月09日 ししとう 2回目の収穫をした これも すくないなあ
07月13日 ピーマン 4回目の収穫をした 
07月16日 万願寺 4回目の収穫をした
07月19日 ししとう 3回目の収穫をした
07月19日 伏見甘長 3回目の収穫をした
07月19日 ピーマン 5回目の収穫をした
07月20日 伏見甘長 4回目の収穫をした
07月21日 ししとう 4回目の収穫をした
07月22日 ピーマン 6回目の収穫をした
07月23日 万願寺 5回目の収穫をした
07月26日 伏見甘長 5回目の収穫をした
07月26日 ししとう 5回目の収穫をした
07月26日 ピーマン 7回目の収穫をした
07月26日 万願寺 6回目の収穫をした
07月30日 ピーマン 8回目の収穫をした
07月30日 万願寺 7回目の収穫をした
07月30日 ししとう 6回目の収穫をした
07月30日 伏見甘長 6回目の収穫をした
08月03日 ピーマン 9回目の収穫をした
08月03日 伏見甘長 7回目の収穫をした
08月03日 万願寺 8回目の収穫をした
08月03日 伏見甘長 8回目の収穫をした
08月10日 ピーマン 10回目の収穫をした
08月10日 万願寺 9回目の収穫をした
08月10日 ししとう 7回目の収穫をした




東日本大震災 3月11日発生
8月27日は既に3年と5か月と17日後となった   阪神大震災は、1月17日で発生から20年
どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている


武田さんのブログ
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芥川龍之介談・・・「娯楽」で人を死に追いやる人たち

「rinchi___201408251212.mp3」をダウンロード
芥川龍之介が「輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても」とあるが、さすが芥川龍之介で、遠く明治の時代に今日のバッシング文化を鋭く批判している。

この警句が載っているブログの記事に「リンチ(私刑)は許されるか」というのがあった。それによると、(1)この世には「悪いこと」があり、(2)それは罰するべきである、という考えが、現代日本の社会に蔓延していて、ネットという新しい手段で、それが正当化される可能性があるとしている。

恐ろしいことだ。

まず第一に「この世に悪いこと」があるという。そうであれば誰かが「これは悪いことだ」というのを決めなければならない。それは「神様」か「偉人」ということになっている。普通の人が「これは悪いことだ」と決めることはできない。たとえば、浄瑠璃の世界では主君のために我が子を殺すことが正当化される。殺人ですら、常に「正義」の名のもとで行われるのだから、「普通のこと」の「善悪」というのは誰も自分で判断することはできない。

そこで人間は長い歴史の中で「合意」をしていることがある。第一には宗教団体のように任意に参加できる団体内では、その団体内だけで「善悪」を決めることができること、第二に一般社会ではその社会を構成する人(国民)が相互に約束して「これは悪いこと」と決めて法律を作り、税金を出してその法律を政府や警察に守らせるというシステム、である。

また「倫理」と「道徳」は区別されないこともあるが、厳密に言えば、「倫理」の倫は相手という意味だから、相手の理(ことわり)に従うことを意味している。これをいれると、「正しいこと」というのは、宗教団体では神様が決め、社会では法律(約束)が決め、個人的には相手(倫)が決める、ということになる。

ネットでは「自分で正しいことを決めることができる」ということになると、それはこれまでの人間の歴史ではありえないことで、もしネットで「自分が正しいと思うことに基づいて、「悪いこと」を罰する」ということになると、まさに「リンチ」であり、それは「反社会的なこと」で、それ自体が「悪いこと」になる。つまり「悪いことを罰する」という行為自体が「悪いこと」なのだ。

また、私たちの約束事(法律)では、単に「何が悪いか」を決めているだけではなく、「悪いことをした人の自由を奪ったり、罰したりする手続き」も決まっている。これが民事訴訟法、刑事訴訟法で、とても大切な法律だ。

つまり、「なにが悪いか」を決めただけでは不十分で、「悪いことを決める手続き」も同じように大切である。仮にネットの人で神様のような人がいて「悪いこと」を決めることができても、その人が「悪い」と決めれば、即、死刑ということではなく、たとえば「ネットで批判する場合は名前を名乗らなければならない」とか、「批判に対して、同程度の反論の場を与えなければならない」などの細かい手続きが必要だ。

このような手続きが重要なのは、「原理原則」と「それを現実にする方法」が大切だからだ。その意味では、ネットのバッシングは (1)ネットの人が神様になることと、(2)手続きを無視して直ちに「首を跳ねろ!」というような暴君になること、を意味している。

STAP事件のマスコミ・リンチで言えば、NHK、毎日新聞、分子生物学会などが「神様」と「暴君」の役割を同時に果たし、その結果、リンチが成立した例でもある。

(平成26年8月22日)武田邦彦

ふむふむ

はた坊





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最終更新日  2014.08.27 00:54:16
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