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カテゴリ:ネギ
ネギ類の植え付け さて どうするかな とりあえず 大根やカブラ 高菜 青梗菜などの 植え付けを済ませてから 次に ニンニクとらっきょうなどを植え付けて 次の次に 豆さんと そらまめさんを植え付けて 次の次の次に タマネギさんを植え付けて そのあとに残った 場所に ネギさんを植え付けて 育てていこう ネギさんの仲間 あさつき 在庫の種の根っこも M-20にばらまいておいた わけぎ 在庫の種根っこも M-07に植え付けておいた 九条ネギさんは 最後に 余っている場所に 植え付けをやっていこう 九条ネギの在庫 g-01 昨年ののこりの九条ネギ 14本 g-03 昨年のねっこの九条ネギ 24本 m-08 ネギ坊主の残り 20本 m-06 ネギ坊主の残り 20本 m-07 ネギ坊主の残り 20本 ネギ坊主の残りの60本をバラバラにして 再度 植え付けをやり直そう 来週くらいから 整理をして 畑の余っている場所に どんどん 植え付けしよう これらも 日曜には 分散させて 再度の植え付けをしてみるつもりだったけど そのまま でも 良いかな あとは もみ殻をかけておけば 大きくなってくれるだろう ネギさん そのままで いこう あとは 11月にででくる もみ殻を待つのみ 11月02日 もみがら まだ でていない 11月05日 もみがら まだ でていない 今週の土日くらいかな 出れは すぐに もみがら 争奪戦が始まる 袋を用意して バイクで もみがら 大量に 運ぶ予定 ネギさんにかけて 余れば 畑にばらまいておこう 11月09日 もみから まだ でてきていない で 次は11月16日くらいに もみから 出ると思われる 今週の日曜には もみがら 拾いにいこう 11月16日 まだ もみがら でてきていない 11月17日 まだ もみがら でてきていない 11月22日 もみがら 出た すぐに拾いにいって ネギさんにもみ殻をかけておいた g-03の九条ネギ これにも もみがらをかけておいた g-01の九条ネギ これにも もみがらをかけておいた m-07の九条ねぎ これにも もみがらをかけておいた 11月22日にもみがらをかけたので 一か月後には 九条ネギさん 白くなってくる予定 12月31日には 九条ネギ 収穫する予定なり 12月31日 初の九条ねぎ 収穫をした さっそく 根っこも庭のブランターに植え付けをしておいた 収穫して 来年のネギさんの植え付けも同時にやっておいた 01月03日 2回目の収穫をしておいた 根っこは庭にて 植え付けをしておいた 01月10日 3回目の収穫をしておいた 根っこを庭にて 植え付けをしておいた 01月12日 4回目の収穫をしておいた 01月17日 5回目の収穫をしておいた 01月24日 6回目の収穫をしておいた 02月01日 7回目の収穫をしておいた 02月08日 8回目の収穫をしておいた 02月15日 9回目の収穫をしておいた 02月22日 収穫するの 忘れていた まだ 在庫はたくさんある 03月01日 10回目の収穫をした 03月08日 11回目の収穫をした 03月14日 12回目の収穫をした 04月04日 13回目の収穫をした 04月12日 14回目の収穫をした これにて 九条ネギさん 収穫はおしまいに 九条ネギさん またまだ たくさんあるが ネギ坊主だらけになってきている ネギ坊主はカットして 残りのネギさんは また 来年用として 育てていこう 東日本大震災 3月11日発生 04月15日は既に4年と1か月と04日後になった 阪神大震災は、1月17日で発生から21年目に どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている -------------------------------------------------------------------------- 立派なイスラム・豪快な日本(9) イスラム国家の膨張 ムハンマドが神からのお言葉をアラビア語で書いたコーラン(quranと書くので、これまで日本ではコーランとしていたが、今後はクルアーンと呼ぶようになるかも知れません。いずれももともとはアラビア語で、それをラテン語や英語で呼んでいるので、何が正しいかということをあまり言わない方が良いだろう)の内容があまりに素晴らしかったので、多くの人が次々と信者になった。 ユダヤ教などでは「原罪」というのが合ったり、信者にならない前のことを問題にしたりする。その点、イスラム教は合理的で簡便、信者になる前のことは問わないし、なってから信者がやらなければならないのは、礼拝し、ラマダンを守り、ただひたすらアッラー(神)を信じれば良いのだから日本の浄土真宗に似ていて、現代流で言えば、上から目線でもないし、権威主義でもなく、ただ、自分の命がつきて肉体がなくなり、遙か未来に神の裁きを受ける時に、悪い方に分類されないように毎日、コーランとシャリーアという行動規範に書かれたことを守れば良い。 それも簡単で、信者が平等だからお金持ちは寄付をする、ラマダンの時には日没まで食べない、一生に一度は聖地に巡礼するということだ。 多くの人に受け入れられ、かつ中間管理職がいないので、日常的なお金や男女のこともシャリーアに従うので、国と宗教が一体というところがある。少し強引な言い方だが、キリスト教の教会組織、仏教の宗派組織とイスラム教の国は少し似ていて、神と信者(ムスリム)しかいないので、国を作ってそこで信仰を守り、共同体を作る感じだった。だから意思は統一しているし、力は出る。 ムハンマドが没した後、ますますイスラム教は繁栄し、「正統カリフ」と呼ばれる、宗教指導者でもあり、国のトップでもある人が統治して、中東全体に勢力を伸ばした。正統というのはムハンマドを正しく継いでいるという意味だが、4代目のアリーの時に派閥争いで暗殺され、それ以後は「正統」とは呼んでいない。 カリフというのはアラビア語で「代理人」の意味で、選挙でムハンマドの代理人を選ぶだけだから神父やお坊さんのような中間管理職でもなく、クルアーンを独自に解釈したり、宗教的行事を主催したりはできない。単なる学級委員のようなものだ。 ついでにイスラムの歴史に出てくるスルターンというのは日本語で言えば「王様」だからスルターンなどと呼ばずに、王とか皇帝といった方がわかりやすい。いずれにしても正統カリフの時代が終わって、ウマイヤ朝の時代になり、カリフは「選挙」から「世襲」に変わり、アラブ人とアラブ人以外の人を区別するようになる。 もともと神の前に平等なのだから、カリフは選挙が適当だし、人種によって信者を分けることもないのだが、やはり人間が入るとややこしくなる。 でも、権力が強くなるので国家の力は大きくなって、ウマイヤ朝の時代にイスラムの世界はアフリカの西北部からリビヤ、エジプト、中東、さらに中央アジア、インドの西にわたる大帝国になった。さらにそれまではヨーロッパの領土だったイベリア半島(スペイン、ポルトガルのあるところ)もイスラムになる。 (平成27年3月13日) ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.04.15 01:32:53
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