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カテゴリ:にんじん
昨年も人参の種をかってきた 前に遅くの種まきをしたら ダメだったので 9月には いや もう 8月からでもよいのかな 来週から 種まきをやってみよう 09月07日 庭で種まきをした 09月13日 まだ 発芽していない すこし 遅いかな 09月14日 発芽している 畑に移動した m-06に植え付けた にんじん 種まき 第二弾 09月15日 庭での種まきをまた やっておいた 09月21日 発芽はまだ 09月27日 発芽している 畑に移動する m-006に移動して植え付けた にんじん 種まき 三弾め 09月21日 種まきをしておいた 09月27日 発芽した 09月28日 畑にいどうした m-06に植え付けた にんじん 種まき 弾四弾 09月28日 種まきをしておいた 10月04日 発芽した 10月05日 畑に移動した m-06に植え付けをした 10月12日 のこりのにんじんの苗も M-06の畑に植え付けた 最初の人参 大きくなってきている 植えてから 2か月が過ぎた やや おおきくなってきている 11月16日 2か月と1週間がすぎた 12月には 収穫できる予定なり 12月07日 3か月となった もう 収穫できそうだ 12月13日 すこし 収穫をしてみた まあまあ 良い人参さんになっている まびきもなし 放置したままだけど なんとかなるものだなあ 12月23日 2回目の収穫をした 12月28日 にんじん まだまだ たくさんある ゆっとくりと 収穫していこう 12月31日 3回目の収穫をした 01月03日 4回目の収穫をした 01月12日 5回目の収穫をした にんじん 在庫 m-06 畝no2 9/14 植え付け 大量にある 畝no1 9/28 植え付け まばらにある 畝no3 10/12 植え付け ほとんど なし 畝no2のは雑草とりをこまめにしたので 無事に生育 畝no1は適当に雑草とりなので まばらに残る 畝no3のは 雑草とり あまりしなかったので ほとんど なし 消滅したみたい マルチを使用して 雑草を防止しないと にんじんさん 消滅してしまうようだなあ ねぎ にんじん ちんげんさい たかな 菊菜なども 雑草にまけやすい マルチを使用して 今後は 生き残りの苗を増やすようにしよう 01月18日 6回目の収穫をした 01月24日 7回目の収穫をした 02月01日 8回目の収穫をした 02月08日 9回目の収穫をした 02月15日 10回目の収穫をした 02月22日 11回目の収穫をした 03月01日 12回目の収穫をした 03月08日 13回目の収穫をした 03月14日 14回目の収穫をした これにて にんじん 御終いとなった 今年もにんじんの種まきを開始 第一弾 03月29日 昨年の残っていたにんじんの種 庭で種まきをしておいた 04月04日 発芽はまだ 十日くらいかかるはずなので まだまだ 04月12日 発芽してきている 畑に来週に移動しよう g-01の畝に植え付け 06月06日 それなりに生育してきている 第二弾 04月05日 今年のにんじんの種を買ってきた ついでに 庭での第二弾の種まきをしておいた 04月12日 発芽はまだ 04月19日 発芽してきている また 日曜には 畑に移動しよう 04月26日 にんじん 発芽したのを 畑に移動した g-07の畑の畝に植え付けた 05月10日 にんじん まあまあ 生育してきている 第三弾 05月03日 庭で種まきをしておいた 05月17日 発芽しているので 畑に移動した g-09に植え付けをした ちいさいながらも にんじん すくすく 育っている 葉は大きいが 根っこがうまくそだつかは ??? 葉だけ 大きいかも ??? まあ たくさん植えているので なんとかなるだろう 06月13日 にんじん それなりに育っている もう 三か月にちかくなる 葉は りっぱになっている 06月20日 ためしに掘り出してみた まあ 大きくなっているが 頭でっかち 根っこは短いな 東日本1震災 3月11日発生 06月30日は既に4年と3か月と19日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から21年目に どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている -------------------------------------------------------------------------- 大きな歴史・小さな事件(1) 「力が強い」を覆した正義の戦い 180センチで筋肉隆々の男性は、いつでも150センチの優しい女性に乱暴して良いのだろうか? そんなことが「文明国」で許されるはずはない。でも、180センチの男性の方にも言い分がある。 「俺の方が強いんだ。強いのが弱い奴を自由にして何が悪い」という理屈である。人間が誕生したのは550万年前とされているが、その人間がある程度の集団を作るようになって、さまざまな矛盾が出てきた。それは都市ができはじめた1万年前ほどであると言われている。 強いものが強大な力を持ち、弱いものがその奴隷となり、強ければ弱いものを殺しても奴隷にしても良いという世界だ。実はこんなに野蛮な「身分制度」は動物のうち、もっとも「気高い」と言われている人間にしかない。他の動物はせいぜい、ボスがいるぐらいだ。 そして、私たちはアテネ、アレキサンダー、シーザー、チンギスハーン、ナポレオンを学び、「強ければ何でもして良い」という道徳をいやと言うほど叩きこまれる。日本人の多くが彼らを英雄と呼び、16世紀からの白人による有色人種の虐殺、征服を「大航海時代」と囃すのは、「強いものは何をしても良い」という強い洗脳を受けているからである。 それは1945年、第二次世界大戦の終わりまで続いた。日本は戦争に敗れたが、「たとえ死んでも、弱いものだから強いものの言うとおりにしなければならないというのではない」と世界に訴え、世界は日本人の310万人の犠牲を見て、「強いからと言って弱いものを好き放題にしてはいけない」という道徳律を認めた。 本来なら、アメリカン・インディアンが虐殺されている時に気がつかなければならなかったのだろうが、強いものに単に負けているだけでは大きな道徳は変わらない。180センチの男に押さえ込まれた150センチの女性は自らの命を失っても男の指を食いちぎらなければならないのだ。 かくして、世界は「力によらず独立する」という権利を獲得し、植民地はほとんどすべてが解放された。日本の戦争には若干の欠陥があるが、それより人類に対する巨大な功績を認めるのが「大きい歴史」を理解する私たちの知性である。 この知性に真っ向、反抗している反動勢力が二つある。一つはアメリカ、一つは中国で、ともに時代遅れだからまもなく衰退するだろう。アメリカのことはすでに多くの人が知っているが、中国が、第二次世界大戦の後、世界の植民地が次々と独立していくさなか、隣国だったチベット、ウィグル、内モンゴル、満州、そしてベトナムに侵攻し、今、また南沙諸島に向かっている。 中国は未だに「強いものは弱いものに何をしても良い」という考えだ。戦争で最大の功績のあった日本が、最悪の中国に頭を下げたり、その言うことを聞いたりするのは歴史の流れに逆行する。 (平成27年6月28日) ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.06.30 02:24:58
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