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カテゴリ:うり すいか
昨年 04月13日 hcで4本のスイカの苗を購入して 庭においておく 04月17日 畑に移動した g-07の畑の畝に植えておいた まずは 4本をうえておいた 05月03日 追加で1本をg-07に植え付けた 今年は 合計で5本のスイカを植え付けている 05月18日 その後はまあまあ 育ちつつある 06月01日 まわりにブランターをおいて蔓が伸びやすくなるようにした 06月08日 花がついてきている そろそろ 小さい実がついてきそうだなあ 06月11日 その後も 蔓はどんどん伸びてきている となりの畑では 大きなスイカができているわ すごいなあ 蔓がどんどん 伸びてきている 06月15日 実がついてきている まあまあサイズは大きいな 何もしていないけど 実はついてきている 本当は蔓のカット 小蔓のカット 孫蔓のカットして 実をつけるようになっているが 何もしていない が 実はついている なんとかなりそうだなあ 06月22日 スイカの実は 三個くらいはある まだまだ 増えてきつつあるようだなあ 今年は 適当にやっているが 実は大きくなってきている 07月06日 スイカ 初の収穫をしておいた まあまあ かな 蔓は枯れていたのでokだなあ 07月09日 スイカ 2個目の収穫をしておいた 07月13日 スイカ 3度目の収穫をしておいた 07月16日 すいか 4個目の収穫をしておいた 07月21日 すいか 5回目の収穫をしておいた 今年のスイカは 美味いなあ 上出来であった これには 終了なり 今年 今年もスイカ どんどん つくろう 04月29日 hcでのスイカの苗 安いものをみて 4本をかってきた とりあえず g-01などにうえつけておく 05月03日 100円のスイカの中がまだあったので 追加で4本の苗を買ってきた m-07に植え付けた 05月09日 スイカ 追加の4゛本 マルチをして ゆったりとうえておいた 最初の4本はあまり生育していない 追加の4本はこれから 大きくしていこう 畑はゆったりとしているので 大きく育てていこう 05月23日 まあまあ 蔓も伸びてきつつある まだまだ 様子をみている 畑は広いが スイカは手入れが大変かかる が 手間暇はあまりかけられないので 放置でいく予定 まあ 数個できれば 良しでいくつもり 8本植えているので 8個できれば 良し 05月30日 m-07のスイカは 蔓が良く伸びてきている 06月06日 m-07のスイカ どんどん 蔓が伸びている 楽しみだなあ 06月07日 m-07のスイカの横の畝のじゃがいも 収穫をしたので 畝が広くなってきている 06月14日 m-07のスイカ 横の畝につるが 伸びてきている 06月20日 g-01のスイカも すこしづつ 伸びてきている 06月21日 m-07のすいか 実もすこし ついてきている 06月27日 g-01のすいか これも 実がついてきている 06月28日 m-07のすいか どんどん 伸びてきている 蔓の先端をカットしておいた 07月04日 g-01のすいか 小さいが実もついてきている 07月11日 g-01のすいか まだ ちいさい 収穫はまだ 先だなあ 07月12日 g-07のすいか これも まだ 小さいが 無事なり 07月19日 初のすいか 収穫をしておいた 07月20日 g-07の畝にも スイカがあるが 来週くらいには 収穫できそうだ 07月25日 すいか 3個を収穫をしておいた 東日本1震災 3月11日発生 08月01日は既に4年と4か月と21日後となった 阪神大震災は、1月17日で発生から21年目に どちらも想定外ということで 既成概念の見直しが必要 武田さんのコメントを参考にしている -------------------------------------------------------------------------- 大いなる錯覚(3) 民主主義はいつでも反対はできない 民主主義はとても大切だ。社会を構成している人のできるだけ多くの人の考えを繁栄することができる。でもそれにはルールがある。言論の自由、表現の自由が守られていること、何かを発言したりしても社会的な不利を受けないこと、選挙など自分の意思を表現するチャンスがあることなどだが、それ以外でも、いったん、「十分な議論と意思の表明のチャンス」があれば、その後は「反対できない」という制限もある。 例を一つあげよう。 フランスで原発の是非を問う議論が行われる。原発推進派は「原発は安全だ」と言い、反対派は「心配だ」といって論戦し、投票する。その結果、70%が推進、30%が反対となるとする。そうすると、その後は反対派は反対しない。それが民主主義だ。 その代わり賛成派は反対派の意見を取り入る。少数派の意見尊重である。原発賛成派は「原発は安全だ」といったのだから、反対派が「それならパリのそばのセーヌ川のほとりに作れ」と言うと賛成派は自分が賛成したときに言ったことを守るから、パリに作る。 本当にそうなっている。 つまり民主主義とは議論をし、投票をしたらその後は反対できない。その代わり、投票前に言ったことを多数派は覆すことができない。その点、日本は原発にしても安保法令にしても民主主義ではない。 それに日本の場合は新聞やテレビが「ウソやウソに類すること」を言って混乱させるから、時間が十分あっても議論していないのと同じになる。原発も安保法制もそれがあるから国民は民主主義が行われているという感触もない。 私はこのブログでは日本の新聞やテレビに民主主義を壊されたくないので、安保法制もすでに反対できないと思うし、原発も再稼働は(極めて私の意思とは違うが)仕方が無いと思っている。「自分の見解より選挙結果」というのが民主主義だからだ。どんなに残念でも、どんなに科学的に異なっていても、民意は民意だ。 民意がマスメディアによって曲がっていても民意は民意だ。真実は常に言い続ける(たとえば1年1ミリとか原発が震度6で壊れるとか、さらには原発は津波が来なくても浸水で爆発するとか)が、それは「反対」から「お願い」に変わる。私はすでに原発反対で、少数派だから、「原発再開はやむを得ない(国民が賛成しているから)が、せめて1年1ミリを守り、耐震設計をし、浸水に強くしてくれと「願っている」。残念だが仕方が無い。 私は今でも被曝の危険性と、正確なデータの提供を続けるつもりだ。それは少数者でも、原発そのものに反対はできないが、条件をつけることができるからだ。 民主主義は難しい。 (平成27年7月28日) ふむふむ はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.01 01:06:19
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