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カテゴリ:唐辛子
昨年 とうがらし類 今年は 畑が新しいので 唐辛子類をいろいろと植えてみた 鷹の爪 伏見あまなが ぴーまん など ゆったりと 植えてみよう これまで狭かったので 日差しが良くなく 育ちが悪かったが 今年は ゆったりと 育てよう 04月20日 hcで苗があったので かってきた m-06に植え付けた 05月20日 ちいさい 育つのが遅い 小さいままだなあ 06月20日 花がついてきているので 鷹の爪だと やっと 判明 ぴーまんと たかのつめが 育ちが悪い 万願寺はよく育っている 次にに ししとうも いい 次は伏見甘長 たかのつめ と ピーマンが 育ちが悪いなあ 連作障害かなにか 鷹の爪 07月07日 しかし ながらも 花がさいて 実はすこしづつ つきだしている 08月02日 まあ なんとか 花が咲いて 赤い実もすこしついてきている 鷹の爪 小さいながらも 花と実もついてきている それなりに なんとか なっている 09月14日 なんとか 実がついたので 収穫をした まあまあ これにて 鷹の爪は 御終いに 今年 今年も ぴーまん 万願寺 伏見あまなが ししとう 鷹の爪 植え付けをしていこう 04月11日 ピーマン 苗 2本を買ってきた g-01 04月12日 万願寺とうがらし 苗 2本も買ってきた g-03 04月19月 ピーマン 追加でまた2本を植え付けておいたm-06 04月29日 たかのつめ4本 伏見1本 かってきておいたm-06 05月03日 ぴーまん2本 ししとう4本 伏見2本 かってきた g-07 今年も ゆったりと 育てていこう ピーマン6本 万願寺2本 鷹の爪4本 伏見3本 しし唐4本 合計17本なり 05月24日 万願寺 すこし生育しているが まだ 小さいな 連作障害があるようだなあ 05月31日 g-07の畝の伏見なども まだ どれがどれかわからない 06月06日 その後も 実はまだ ついていない まだ わからないなあ 06月13日 m-06のは 実がついている 伏見らしい 06月20日 鷹の爪 伏見 万願寺 ししとう それぞれ 実がついてきている やつと それぞれの実が はっきりとしてきている 06月21日 伏見甘長 初の収穫をした 06月27日 鷹の爪 実がついてきている やっと 鷹の爪らしくなってきている 06月27日 伏見甘長 2回目の収穫をした 06月28日 g-03の万願寺 やっと 実がついてきている 07月04日 伏見甘長 3回目の収穫をした 07月05日 伏見甘長 4回目の収穫をした 07月11日 万願寺のはずの実 2個 収穫したが どうだか ピーマンのようでもあるなあ ??? 07月12日 伏見甘長 5回目の収穫をしておいた 07月18日 万願寺のはずの実 2回目の収穫をした 07月19日 伏見甘長 6回目の収穫をした 07月25日 伏見甘長 7回目の収穫をした 08月01日 伏見甘長 8回目の収穫をした 08月02日 伏見甘長 9回目の収穫をした 08月02日 鷹の爪 実も 赤くなってきている 08月08日 鷹の爪 1回目の収穫をした 終戦記念日について 各国における終戦記念日 9月2日とする国家 アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(英語版:Victory over Japan Day)と呼んでいる。当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは、降伏文書に調印した9月2日を「V-J Day」として宣言した。 アメリカ:1995年9月2日には、対日戦勝50周年を記念して、記念切手が発行された。ただし、州レベルでは8月14日や8月15日とされることも多い。 カナダ:2005年に、戦勝60周年を記念して、「Victory 2-9-45」と刻印されたメイプルリーフ銀貨を発行した。 フランス:2000年に、終戦記念日(フランス語: Fête de la victoire de 1945)である5月8日のVEデーに、反ファシズム戦争の勝利55周年を記念してイベントが開催された[1]。2000年9月2日に、対日戦勝55周年を記念する式典が、フランス国防省主催で行なわれた[2]。 ロシア:2010年、9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」に指定した。この他、独ソ戦の終結日である5月9日を「大祖国戦争終結記念日」(祝日)に指定している。 9月3日とする国家 ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、対日戦勝記念日は9月3日であった。これは、降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日に、対日戦勝祝賀会が行われた事に因んでいる。ロシア連邦でも、ソビエト連邦の対日戦勝記念日を引き継いだため、近年まで9月3日であった。 中華民国(台湾)と中華人民共和国では、旧ソ連と同じく、9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。2005年9月3日、北京の人民大会堂で抗日戦争勝利60周年記念式典が開かれた。ただし、支那派遣軍岡村寧次司令官が中国国民政府と降伏文書調印した9月9日や、日本の終戦の日である8月15日を対日戦勝記念日とすることもある。 8月15日とする国家 一般に日本では、8月15日が終戦の日とされている(後述)。 大韓民国では8月15日を「光復節」と称して、日本による朝鮮半島統治からの「解放」を祝う日となっている。 北朝鮮も同様に、8月15日を「祖国解放記念日」として祝っている。 日本 日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。 一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。 日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。 1.1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。 2.1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送、但し録音)により、日本の降伏 が国民に公表された日。 3.1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。 4.1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合 国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。 4月28日については、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。 連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。 歴史 1945年7月26日、米英中の3か国(のちにソ連も参加)はポツダム宣言を発し、日本軍の無条件降伏を要求した。 日本政府は、日ソ中立条約があるソ連に和平講和の仲介を託していたが、8月6日広島市に原子爆弾が投下され、8月8日ソ連対日宣戦布告、8月9日広島市に続き長崎市にも原子爆弾が投下されるという重大な事態が続いた。 8月10日、日本政府は中立国を通じて、国体の変更を伴わないかどうかを連合国側に確認した。 しかし、確答が得られぬまま、8月14日の御前会議で、昭和天皇の聖断によりポツダム宣言受諾が決定され、終戦の詔勅が発せられ、連合国に対しポツダム宣言の受諾を通告した。 1945年8月15日正午(グリニッジ標準時午前3時)から、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書などともいう)を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。 当日は朝から「賢き辺り(=天皇)にあっては本日正午から重大発表を行なうので、必ず聴くように」と繰り返しアナウンスされた。 神聖不可侵とされた最高権力者である天皇の肉声が初めてラジオで放送されたことと共に、戦争終結を発表されたと、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべきできごとであり、大きな衝撃を与えた[3]。 1945年8月15日、大本営は陸海軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令し、8月16日に自衛の為の戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した[4]。 さらに8月18日には、全面的な戦闘行動の停止は、別に指定する日時以降に行うように命令、8月19日に、第一総軍、第二総軍、航空総軍に対して、8月22日零時以降、全面的に戦闘行動を停止するように命令した。 支那派遣軍を除く南方軍等の外地軍に対しては、8月22日に、8月25日零時以降に全面的な戦闘行動停止を命令した[5]。 中国大陸や北方戦線では、ソビエト連邦や中華民国との戦闘が暫く続いた。 ソ連軍は北方四島に上陸作戦を展開し、それを阻止するための戦闘が、中央の命令により現地陸軍守備隊によって行われた(占守島の戦い等)。 また戦闘停止命令の届かなかった部隊などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いた。 さらに、外地の一般市民が難民と化し多くの犠牲者をだした。 また、沖縄の久米島では現地の海軍部隊による住民の虐殺事件も起きている(久米島守備隊住民虐殺事件)。 これらの戦闘は8月下旬になると概ね終結した。 1945年9月2日、昭和天皇は「誓約履行の詔書」を発し、日本政府全権の重光葵外務大臣と大本営(陸海軍)全権の梅津美治郎参謀総長が、降伏文書に調印し、即日発効した。 1951年9月8日には、平和条約であるサンフランシスコ平和条約が調印された。 そして、サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日をもって、国際法上、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」は終結することとなった[6]。 07月26日 ポツダム宣言 08月14日 ポツダム宣言 受諾 08月15日 玉音放送 08月22日 戦闘行動停止を命令 09月02日 政府全権 降伏文書に調印 戦争 やめるにも かなりの時間がかかっている はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.16 10:38:30
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