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カテゴリ:キャベツ
2015年 01月02日 まあまあ 成長もすこしづつ してきている 01月18日 その後 あまり変化はない まあ そんなものかな 01月25日 いい感じになってきている 02月08日 第一弾 1本を収穫をした 02月22日 次の芽キャベツが収穫できそうになってきている 03月08日 残りの4本 芽キャベツの収穫をした 03月22日 最後の芽キャベツ 収穫をしておいた これでお仕舞いに hcで苗が売っていたので 4本をかってきた 09月06日 ローヤルで芽キャベツの苗が売られていた 4本を買ってきた 09月13日 g-07の畑のはしっこに植え付けた 09月20日 その後の芽キャベツ ちいさいまま 植え付けたままのサイズだなあ 09月22日 追肥をしておいた 09月27日 あまり大きくならないなあ まあ それなりの生育である 10月04日 すこし 背が伸びてきている 10月10日 もう すこし 背が伸びてきているが サイズは バラバラだなあ 10月18日 2個は大きくなりつつあるが 2個は小さいままだなあ 10月25日 2個の差はそのまま すこしづつ 大きくなりつつはある が 差はおおきいな 11月07日 差はありながらも 4つともに生育しだしている 無事なり 11月15日 葉は大きく成長しているが 背が低い したのはをカットすればよいのかな 11月22日 下の葉は カットしておいた すっきりした 11月28日 芽キャベツ なんとか 見事に大きくなってきている ただし 背は低い 12月05日 芽キャベツらしくなってきた いい感じになっている 12月19日 芽きゃべつ 結構と様になってきている 12月23日 芽キャベツ いい感じになっている まあまあ 12月30日 芽キャベツ もう 収穫できるみたい そろそろ 収穫しよう 2016年 01月01日 芽キャベツ これだけになれば 収穫できそう 昨年は2月から3月に収穫した もう すこし 様子見をしておこう 01月16日 芽キャベツ 収穫まじか しばらく 様子見だなあ 02月01日 そろそろ 収穫できそう だ 02月02日 芽キャベツ 1本目 収穫をした 02月13日 残りの芽キャベツ これも まあまあ そろそろ収穫しよう 02月21日 2回目の収穫をした 02月28日 3回目の収穫をした これで 終了なり 秋の芽キャベツ 08月27日 hcで芽キャベツの苗か売り出されていた 4本を買ってきて m-07の畑に植え付けた 09月03日 芽キャベツ 4本 なんとか 無事である みずやりをしておく 09月11日 芽キャベツ m-07の分 無事なり 追肥をしておいた 09月17日 芽キャベツ m-07の分 大きくなりだした 支柱をつけておいた 09月20日 芽キャベツ 台風がくるので支柱に紐で固定しておいた 09月24日 芽キャベツ 大きくなってきつつあるが 青虫があちこちに 10月08日 芽キャベツ 虫はいなくなって 無事に生育中 なかなか大きいな 10月15日 芽キャベツ 追肥の効果があり 大きくなってきている 10月22日 芽キャベツ まだ 虫さんもたくさんいる 退治をしておいた 10月30日 芽キャベツ 下の葉 カットして すっきりとさせておいた 11月03日 芽キャベツ 今年の分は 生育は良い 楽しみである 朴大統領 おべんきようその02 政界入りとハンナラ党代表就任 ガールスカウト団名誉総裁、 嶺南大学校理事長、財団理事長を務めた後、 1998年に行われた国会議員補欠選挙(大邱広域市達城郡)に当選し政界入りし、 ハンナラ党副総裁など党要職を歴任した。 2002年2月にハンナラ党を離党した後、 5月12日に平壌を訪問して金正日と会見し板門店経由で帰国している。 同年末に行われる大統領選挙に向け新党「韓国未来連合」を5月17日に結成したが、 11月にハンナラ党に復帰した。 2004年3月23日に、1965年に野党民衆党の代表最高委員(党首)に朴順天(パク・スンチョン)が就任して以来、韓国では39年ぶりの女性党首としてハンナラ党の代表に就任した。 2004年4月の総選挙でも達城郡の選挙区から当選した。 この選挙では、大統領弾劾を可決したハンナラ党に対する国民の批判が集まり惨敗が予想されていたが、朴槿恵の知名度と人気で惜敗に食い止め、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた[3]。 2005年10月5日、ハンナラ党代表として韓国軍のヘリコプターを用いて「独島」へ上陸した[4][5]。 11月8日にはニューライト全国連合創立大会に参加する[6]。 また同年には中国を訪問して胡錦濤国家主席と会見した。 2006年5月17日に日本を訪問し、小泉純一郎首相と会談した。 また訪韓した北朝鮮による拉致被害者家族会・横田滋代表らとも会見している。 同年5月20日午後、第4回全国同時地方選挙の支援遊説中に、暴漢・池忠浩(後に傷害罪で懲役10年)にカッターナイフで切り付けられ、右耳下から顎にかけて10センチの傷を負い60針縫う手術を受けた[7]。 この際、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領支持団体(ノサモ)からは、「60針を縫ったのは整形手術」[8]という声が挙がったが、それが逆に反感を呼び大統領支持派に対する批判拡大へと繋がり、地方選挙でのハンナラ党圧勝に繋がった。 なお犯人の背後関係については、検察・警察の合同捜査本部による捜査の結果、 「単独犯」との結論に達した[9]。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.11.05 19:02:01
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