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カテゴリ:トマト
2017年 04月01日 ことしもトマト 毎週 10本づつ 植え付けをしていこう 04月02日 赤のミニトマト 2本買ってきた 04月03日 黄色のミニトマト こちらも 2本買ってきている 04月03日 サターン こちらも 2本かってきている 04月08日 赤のミニトマト 追加で 2本を買ってきて植え付けた 04月08日 黄色のミニトマト 追加で 2本を買ってきた 04月15日 赤のミニトマト さらに 2本買ってきた 合計6本に 04月16日 サターン 追加でかってきた これで 合計6本になった 04月17日 m-07の植えたトマト petをつけているので 元気なり 04月22日 petをつけているので トマトの苗も 元気に育っている さすがにpetは役に立つ 04月30日 トマト 中サイズのフルーツトマト 58円がなくて198円 高いが 買ってしまった 05月03日 とまと petは 全部 外しておいた トマトは 成長が早いなあ 05月13日 とまと生育は良い どんどん 大きくなってきつつある 05月20日 ミニトマト こちらも 生育を開始して どんどん おおきくなりつつある 05月21日 トマト おおきくなってきている が 実は まだだなあ 05月22日 ミニトマト やっと 実がつきだしてきている 05月23日 あちこちのミニトマト どんどん 実がつきだしてきている 05月28日 トマト ミニトマト どんどん 大きくなってきている 05月29日 とまと 支柱を追加しておいた これで 良し 06月03日 トマト 実は あちこち 小さいながらも ついてきている 06月04日 ミニトマト 結構と大きく育ってきている 06月05日 ミニトマト 実も あちこち どんとん ついてきている 06月06日 ミニトマト 支柱を追加しておいた 06月10日 ミニトマト 赤くなってきている 初の収穫をした 06月17日 ミニトマト 赤いのもあるが 青いのが多い まだまだである 06月18日 トマト 支柱にしっかりと くくりつけておいた これで 良し 06月19日 ミニトマト 実がたくさん ついてきている そろそろ 赤くなりそうだなあ 06月24日 とまと そろそろ 赤くなってきている もう 収穫できるのもある 06月25日 ミニトマト こちらも どんどん 赤くなってきている 06月26日 ミニトマト 黄色のもの こちらも 収穫をした 06月27日 トマト 初の収穫をした これから 毎週 畑では トマト 食べられる 06月28日 ミニトマト こちらも たくさん 赤い実がつきだした 07月01日 黄色のミニトマト 2回目の収穫をした 07月02日 トマト 2回目の収穫をした 07月08日 とまと 赤くなっているのが たくさんある 07月09日 ミニトマト こちらも たくさん 実が赤くなっきている 07月10日 黄色のミニトマト こちらも たくさん 実がついてきている 07月11日 とまと 3回目の収穫をした 07月12日 赤の中サイズのミニトマト これも うまいもの 07月13日 黄色のミニトマト これも うまいもの 07月14日 赤のトマト こちらも たくさんついている どんどん 収穫していこう 07月22日 赤のトマト 4回目の収穫をしておいた 07月23日 ミニトマト こちらも 4回目の収穫をしておいた 07月24日 黄色のみにとまと こちらも 4回目の収穫をしておいた 07月25日 赤のトマト 5回目の収穫をしておいた 07月26日 黄色のみにとまと これは たくさんある どんどん 食べよう 07月29日 黄色のミニトマト 5回目の収穫をした 07月30日 トマト 6回目の収穫をしておいた 07月31日 赤のミニトマト 5回目の収穫をしておいた 08月01日 赤のぶち ミニトマト 6回目の収穫をしておいた これは 食べやすい 08月02日 赤のミニトマト またまだ たくさんついている 08月03日 黄色のミニトマト こちらも たくさん ついている 多すぎるくらいだなあ 08月06日 黄色のみにとまと 完熟の状態になってきている 08月13日 黄色のミニトマト 収穫できるものが 少なくなってきている 08月20日 黄色のミニトマト もう お終いの雰囲気になってきた 08月26日 赤色のみにとまと こちらは まだまだ ある 09月02日 黄色のミニトマト もう 最後になってきつつある 09月09日 赤ミニトマト 秋の野菜に場所をゆずるため 撤去としよう 09月10日 黄色のミニトマト これも 秋の野菜に場所をゆずるため 撤去としよう 2018年 04月15日 黄色のみにとまと 2本 m-08の畑に植え付けた 04月16日 赤のみにとまと 2本 m-08の畑に植え付けた 04月16日 サターン 2本 m-08の畑に植え付けておいた 04月22日 黄色のミニトマト 2本 m-07の畑に植え付けた 04月23日 赤のみにとまと 2本 m-07の畑に植え付けた 04月23日 サターン 2本 m-07の畑に植え付けておいた 04月28日 黄色のミニトマト 2本 m-34の畑に植え付けた 04日29日 赤のみにとまと 2本 m-34の畑の畝に植え付けた 04月30日 サターン 2本 m-34の畑の畝に植え付けておいた 05月03日 m-08の黄色のミニトマト まあまあ 成育をしてきている 05月04日 m-08のサターン こちらも まあまあ 成育をしてきている 05月05日 m-08の赤色のミニトマト まあまあ 育ってきている 05月06日 m-08の赤色のミニトマト 実も すこしついてきている 05月07日 m-08の黄色のミニトマト こちらも 無事なり 05月08日 m-08の黄色のミニトマト こちらも 実がつきだした 05月12日 m-08のサターン 育ちは良いようだなあ 05月12日 フルーツトマト 2本買ってきて m-34に植え付けた 05月13日 サターンの実は まだ できていないなあ 遅いなあ 05月19日 黄色のミニトマト かなり大きくなってきている 05月20日 サターンの苗がいちばん成育がよい まあまあだなあ 05月26日 サターンの実 大きくなりだしてきている 05月26日 フルーツトマト こちらも m-34の分 大きくなりだした 05月27日 赤ミニトマト これが 一番よく育ってきている 06月09日 サターン こちらは よく育ってきている 06月10日 赤ミニトマト 実が 赤くなってきている 苗から1か月と2週間で赤くなった 06月16日 サターン 実も大きくなりだした そろそろ 収獲できるのも つきだした 06月17日 赤のミニトマト 赤くなって 収獲できるのが どんとん できてきている 06月23日 m-34のフルーツトマト これは 中サイズのミニトマト なり おいしいトマト 06月24日 サターン これは 成長が一番である 大きくなりだしている 06月25日 サターン 実も どんどん ついてきている 06月26日 黄色のミニトマト こちらも 実がつきだしてきている 06月27日 サターンの実 赤くなってきているのも あり 06月28日 ミニトマト 赤い実も たくさんついてきている 06月29日 m-07の赤ミニトマト こちらも 赤くなってきている 06月30日 サターン m-07の物 たくさん 実がついている 07月01日 黄色のミニトマト こちらの実も おおきくなってきている 07月02日 黄色のミニトマト 収獲できるようになった でも味は赤より落ちるなあ 07月03日 赤色のミニトマト 収獲をした やはり 赤いのは 美味い 07月07日 サターン 実がたくさんある 収獲をしておいた 07月08日 黄色のみにとまと たくさん 収獲できるようになってきている 07月09日 サターン 実が どんどん つきだした 2回目の収穫をしておいた 07月14日 サターン 実がたくさんある どんどん 収獲していこう 拉致 おべんきょうその28 拉致問題の推移 1990年代 拉致議連の混乱 旧拉致議連において当初中山は「拉致問題が解決するまでは北朝鮮に対して食糧支援を行わない」と発言するなど強硬な姿勢を見せ、議連も一致してその原則で臨んでいた。 しかし中山は1997年11月に平壌を訪問して以降、急遽各方面に拉致事件否定説を発表するなど不可解な行動を見せた。 翌1998年には拉致議連会長のまま日朝友好議員連盟の会長に就任し、政府の政策と矛盾する言動を取り始めた[45]。 中山の態度豹変に対し、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(以下「救う会」)はもとよりマスコミや当時中大生であった憲政史家倉山満が創設した「中大生(蓮池薫)を救う会[46]」などから疑念と批判の声が上がった。 また中山の行動が影響し、旧拉致議連参加議員の中から日朝友好議員連盟にも重複加入する議員が現れるなどしたため、旧拉致議連は活動休止状態に陥った。 その後も中山は、2002年3月20日、拉致被害者である有本恵子の母・嘉代子に電話をかけ、「日本人が日本人を連れていったもので、北朝鮮の工作員が関与していないという話の方が有本さんを帰国させやすい」と説明したほか、北朝鮮で会わせることを持ちかけた[47]。 会長自らそれまでの方針を勝手に翻し、このような言動を行ったことで家族会の疑念を生むことになった。 議連メンバーや救う会関係者、支援者から批判を浴びた中山は「日朝友好議員連盟会長」と「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」の両会長を辞することになった。 旧拉致議連は後任人事について桜井新幹事長と西村眞悟事務局長代理に一任したが、同年4月3日、両名の協議の結果「体制一新が必要」との判断に達し、旧「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」は解散した。 これを受けて同月、石破茂を会長、西村を幹事長、平沢勝栄を事務局長とした「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(新拉致議連)が改めて結成された。 同年4月25日の新拉致議連設立総会には衆参国会議員31人と代理30人が参加、家族会・救う会と結束して行動することを確認した[注釈 4]。 新拉致議連は当時経済産業大臣だった平沼赳夫や内閣官房副長官の安倍晋三らが賛同、第1次小泉内閣もこれを支持するところとなった。 また中川昭一・上田清司ら新拉致議連の呼びかけ人に応じた中井洽・古屋圭司ら自由民主党・民主党・自由党・保守党の超党派の議員が発足当初から参加しているが、公明党[注釈 5]・社会民主党・日本共産党からの参加はなかった。 一方中山は同年5月7日の昼、赤坂プリンスホテルの中華料理店で「救う会」の役員に「有本恵子さんは生きている」と語ったが、9月21日の12時頃、「救う会」の西岡力が秘書を通じて中山にこの発言の根拠を確認したものの回答はなかった。 このような中山の言動は被害者家族はもとより国民の不信感を生み、拉致事件の解決が妨害されたとして真摯な説明と謝罪を求める声が議員辞職後の現在も多くあがっている。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.07.18 01:51:59
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