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カテゴリ:山芋
2017年 04月22日 やまのいも 発芽が始まってきた これは m-08の分 04月23日 やまのいも g-1でも あちこち 発芽してきている 04月24日 やまのいも 支柱をどんどんつけていこう これから どんどん 出てきている 05月03日 g-01のやまのいも 支柱をつけておいた 05月04日 m-06のやまのいも 支柱をつけておいた 05月05日 m-20のやまのいも こちらも 支柱をつけておいた 05月07日 m-07のやまのいも 支柱を超えて 伸びてきている 05月13日 やまのいも 庭でも あちこち 発芽してきている 05月20日 m-07のやまのいも つるが 空で 伸びて ふらふら している 05月28日 やまのいも 支柱を超えて どんどん のびている 元気だなあ 06月17日 やまのいも あちこち たくさん 出ている その後も 元気なり 06月24日 やまのいも 葉も茂って 元気なり これから 雑草とりが大切になる 07月01日 やまのいも 7月に 雑草が伸びてきて じゃまされる これから 除草が大変なり 07月14日 やまのいも 花も にぎやかに咲いている 07月22日 やまのいも 葉も良く茂っている 良い感じになっている 08月01日 やまのいも 今年は雑草があまりついていない で 元気である 08月19日 g-1のやまのいも これも 雑草はあまり ついていない 09月17日 g-01のやまのいも むかごも たくさん 落ちている 元気である 10月07日 g-01のやまのいも 葉も紅葉してきている 収穫okのサインだなあ 11月04日 やまのいも 葉も紅葉して もう 収穫はokのサインとなっている そろそろ 2018年 04月03日 やまのいも あちこちで 発芽してきている 04月29日 やまのいも m-08のもの 結構とおおきくなってきている 05月26日 やまのいも あちこちの畑のヤマノイモ どんどん大きくなってきている 05月27日 やまのいも 支柱をのぼって つるも ぐるぐると回ってきている 06月09日 やまのいも あちこちの分 支柱もつけているし よく茂ってきている 07月14日 やまのいも 支柱にのぼって 葉も良く茂っている 順調に成育している 07月22日 やまのいも あちこちにあるヤマノイモ 無事に 成育している 赤塚 不二夫 おべんきょうその16 晩年 2002年(平成14年)4月10日、検査入院中にトイレで立とうとしたところ、身体が硬直し動けなくなる。 脳内出血と診断され、5時間に及ぶ手術。 これ以降、一切の創作活動を休止する[注釈 7][60]。 この年、点字絵本の第2弾『赤塚不二夫のさわる絵本“ニャロメをさがせ!”』を発表。 また、小学館からデビュー以降の作品を集めたDVD全集『赤塚不二夫漫画大全集 DVD-ROM』が発売された。 2005年からはオンデマンド出版形式で全271巻が販売されている[61]。 2003年(平成15年)、妻の尽力により青梅市に青梅赤塚不二夫会館を設立。 館内には幼少時、漫画家になることを決意させるきっかけとなった映画「駅馬車」の看板も飾られている。 2006年(平成18年)7月12日、赤塚を看病してきた妻の眞知子がクモ膜下出血のため56歳で急死[62]。 2年後の2008年(平成20年)8月2日午後4時55分、肺炎のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去した。 満72歳没[63](享年74)。 赤塚は2004年から意識不明のまま植物状態にあったという[64]。 2008年2月24日にはちばてつやが赤塚を見舞い、写真をブログで公開していた(後に似顔絵に差し替えられた)[65]。 また赤塚の死去の3日前の7月30日、前妻でりえ子の母である登茂子が死去していた事が後に報じられた[66][67][68]。 赤塚不二夫の訃報はスポーツ新聞各紙が一面で大きく取り上げた他、一般紙も一面で大きく掲載した。 また民放各局ばかりでなくNHKでもトップニュースで取り上げるなど、一連の報道は昭和・平成を通して彼が一時代を築いた大漫画家であったことを改めて世間大衆に印象付けることとなった。 また赤塚が才能を見出し、芸能界へデビューさせたタモリは「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉を寄せた[69]。 なお「タモリが赤塚の入院費用を全部出していた」という話がインターネットで流布したが、「これは誤りで入院費用は全部パパのお金で賄った。」と娘のりえ子が著書に記している[70]。 とはいえ「肉親以上」の関係であることに変わりはなく、りえ子に対しても励ましやアドバイスがあったとのこと。 赤塚の葬儀では藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄)が葬儀委員長を務めることとなり、8月6日に通夜、翌7日に告別式が東京都中野区内にある宝仙寺で営まれた。 喪主は長女・りえ子が務め、告別式には漫画・出版関係者や芸能関係者、ファンなど約1200人が参列し、藤子不二雄Ⓐ、古谷三敏、高井研一郎、北見けんいちらが弔辞を読み上げた。 タモリは本名の“森田一義”として弔辞を読んだが、この時手にしていた巻紙が白紙であった事が報じられ話題となった[71](項目タモリも参照)。 弔辞は「私もあなたの数多くの作品の一つです。」と結ばれている[72]。 弔辞を報じる記事の中で「重苦しい陰の世界」と表現されている箇所が各社に出てくるが、これは「重苦しい意味の世界」の間違い[73]。 アイドル・フォーが歌う「天才バカボン」のアニメ(第1作)のテーマソングが葬送曲として流れる中で出棺、遺体は赤塚の自宅にほど近い新宿区の落合斎場で荼毘に付された。 法名は「不二院釋漫雄(ふにいんしゃくまんゆう)」[注釈 8]。 生前の最後の言葉は、倒れた時に偶然、女性の胸に手が触れて放った「おっぱいだ、おっぱい」。 原稿に記した最後の文字は「思い出を積み重ねていくのが人生なのよ.イヤーン!H」[74]。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.07.31 02:52:17
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