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カテゴリ:チンゲンサイ
2017年 01月04日 青梗菜 のこりも少なくなってきた m-07の1個 これは でかいな 01月05日 青梗菜 最後の種まきの分のg-09の青梗菜 まあ これも大きくなってきている 01月08日 青梗菜 6回目の収穫をしておいた 01月14日 青梗菜 g-09のもの かなり 大きくなっている 収穫できるなあ 01月22日 青梗菜 7回目の収穫をしておいた 01月23日 青梗菜 残りはg-09のものだけどなっている でもまだまだ ある 02月04日 青梗菜 かなり大きくなっている 全部 もう 収穫できるサイズになっている 02月05日 青梗菜 8回目の収穫をした 02月11日 g-09の青梗菜 もう 花芽でてきつつあるなあ 02月12日 青梗菜 9回目の収穫をした 02月19日 青梗菜 10回目の収穫をした 02月20日 青梗菜 いよいよ 花芽つきだしている 収穫も時間との闘いとなりつつある 02月26日 青梗菜 11回目の収穫をした 02月27日 青梗菜 全部とも 花芽がつきだした そろそろ お終いになりそうだ 03月06日 青梗菜 12回目の収穫をした 03月11日 青梗菜 そろそろ 撤収しようかな 花だらけである 03月18日 青梗菜 もう 花だらけ 撤去とした これで 青梗菜は お終いに 撤去だ 撤去だ 08月26日 青梗菜 種をかってきた 08月27日 庭で青梗菜 種まきをしておいた 08月31日 青梗菜 4日で発芽した 早い 秋だなあ 09月02日 青梗菜 発芽した分は g-3の畑の畝に移動した 09月10日 青梗菜 g-03に植え付けた分 無事で生育している 10月07日 青梗菜 g-03のものは すこししか 残っていない 10月15日 青梗菜 g-03のもの 4本たけ 残っている 10月22日 青梗菜 g-03のものに 追肥をしておいた 10月29日 青梗菜 g-03のもの もう 収穫できそう 第二弾 09月03日 庭で また 種まきをしておいた 09月07日 青梗菜 二回目の発芽も 4日目で おなじく 発芽してくれている 10月15日 この分は 全部 消滅してしまった 残りは0なり 第三弾 09月10日 庭での 種まき 三回目のもの つづけて やっている 09月14日 これも 早くも 発芽してる 09月17日 青梗菜 第三弾のも 畑に移動した 順調に苗も育っている 10月07日 青梗菜 m-08の分 こちらは 順調に生育している 10月29日 青梗菜 m-08の畝の分 こちらも 生育してきている まあまあなり 11月04日 青梗菜 m-08の畝の分 ここのは 良く 育っている 11月11日 青梗菜 m-08の畝の分 見た目にも 良くなってきている 11月25日 青梗菜 m-08の畝の分 もう 収穫できそうになってきている たくさんあるなあ 11月26日 青梗菜 これは 白菜の代わりとして 植えている 青梗菜 虫にたいして 強い 12月02日 g-3の青梗菜 もう 収穫はokとなっている 12月09日 青梗菜 初の収穫をしておいた 12月23日 青梗菜 もう どんどん 収穫していける まだ たくさんある 2018年 01月01日 青梗菜 柔らかく うまい野菜なり どんどん 収穫をしていこう 01月08日 青梗菜 3回目の収穫をしておいた 01月14日 青梗菜 4回目の収穫をしておいた 02月04日 青梗菜 5回目の収穫をしておいた 02月12日 青梗菜 6回目の収穫をしておいた 秋の青梗菜の種まき 08月25日 hcで 青梗菜の種をかってきた 08月26日 庭で 青梗菜の種まきをしておいた 08月29日 青梗菜 庭でのもの 発芽した 日曜には 畑に移動しよう 09月02日 青梗菜 m-34の畑の畝の苗 無事なり 第二弾 09月02日 庭で 第二弾の青梗菜の種まきをした 09月06日 第二弾の青梗菜の発芽 4日で出る 09月09日 発芽した青梗菜の苗 m-08の畑の畝に移動した エジソン おべんきょうその08 「投票記録機」 「株式相場表示機」 自身が開発した初期の蓄音機とともに。1878年、エジソン31歳 このような少年時代を送ったが、その後母親も手伝って発明を複数行った、という。 1864年、17歳の頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働いていたが、 「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。 電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになった事を不思議に思い様子を見に来た上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。これがエジソンの最初の発明だった。 エジソンは1868年、21歳の時に初めて特許を取得した。 それは電気投票記録機に関するもので、議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる画期的な発明となる筈だった。 だが、売り込みを受けた連邦議会や各州議会は、投票中のフィリバスターや交渉が可能である点呼投票(英語版)の維持を選び、全く採用されなかった[3]。 エジソンはこの苦い経験を通して、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もない事を痛感し、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになったという。 その翌年の1869年、エジソンが22歳の時に特許を取得した 株式相場表示機は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。 最初、エジソン自身は5000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、 実際には4万ドル(現在の日本円だと約2億円相当)で買い取られ、 エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。 こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでゆくことになった。 はた坊 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.22 05:10:03
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