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カテゴリ:海外旅行
八達嶺・万里の長城を目指す前に、長城の絶景ポイントでの集合写真撮影の案内があり
販売品の説明を聞く。 世界遺産に登録されている万里の長城は河北省、山西省、甘粛省、北京、内モンゴル自治区などに 所在し、最新の調査で総延長8851kmとされる。着工は紀元前6世紀にまでさかのぼり、 秦の始皇帝が建築し、明代に大幅に拡大・延長されて現在の形になった。現存するものの 大部分は、明代の建造で明の時代には、西は「嘉峪関」から東は「山海関」、更には遼寧省の 北朝鮮国境まで延長された。 北京市内から交通の便もよく最も保存状態の良い城壁の一つがこの八達嶺長城で観光ツアーの 定番となっているのだ。 これから目指す北4桜が一番右手に。 入場料は20元。 神威大将軍砲。 八達嶺長城の入口の馬道に陳列し、合計5台が。当時の先端的な兵器の一つ。 そのうち、最も大きな大砲の筒の長さは2.85mで、口径は105mmで射撃距離が千m以上達し、 極めて威力があったと。 大砲のボディに「敕賜神威大将軍」と書かれて、明時代崇禎11年(1638)に製造。 この大砲は、1958年に八達嶺の東より5キロ先の張堡から掘り出されたもの。 他の四台大砲は、1957年に万里の長城を修繕するときに出土したもので、同時に 数百枚弾丸も掘り出され、どちらも明の時代に作られてものであると。 「武備志」によると、「古代には機械で石を発射し、機械は木造でしゃがんだトラの形にしている」。 その後、火砲を利用し、ボディは短く太く弾丸を発射し、俗称で「カエル砲」と呼ばれていると。 そこから、当時の兵器は一般的なものであると分るのだと。 八達嶺長城は南北2つのルートに分かれていた。 南に伸びる長城はきつい男坂と呼ばれ往復およよ1時間半程と。 北側に伸びる長城は比較的緩やかな坂で女坂と呼ばれ往復40分程と。 今回のツアーは女坂を登ることに。 右は北城・女坂と左は南城・男坂。 手前から北2桜、北3桜、北4桜そして下って北5桜、北7桜、北8桜。 左(西)側が外(蒙古)側で、右(東)側が内(中国)側。 五星紅旗がはためいていた。 北2楼に向かって登って行った。 壁の平均高さは7.8mで、厚さは6.4mで、頂上の幅は5.8mであると。 五匹の馬が並んで走り、十人並んで歩くことが出来たのだと。 壁の外側に1.7~2mの垣と銃眼が。銃眼の下に射撃穴があり、そこから矢を打つ。 同時に、内側に壁垣があり、「むすめかべ」と呼ばれて安全の役割を果たしたと。 北2楼に到着。 城壁の間のこの建物は敵楼、掩蔽壕と呼ばれる砦で敵を監視する役目。 一般的には正方形或いは長方形で、上下二段。上層は望み口と射撃穴があり、 花火の信号をつけるところもあると。 下層は、門と階段があり、兵士に休憩と兵器を置く場所。 万里の長城における重要な軍事施設の一つ。 北2楼入口。 北2楼内の通路。 北2楼を出た直後のやや開けた場所。 南方面の長城(男坂)を振り返る。 北3楼を目指す。 途中左手にあったのは戦台であろうか? 戦争の際に、台の上から火器、フランク、大砲で攻撃したと。 一か所の戦台に一般的には30名兵士を置き、30名に銃眼に配置し、150キロ火薬を準備。 その他、戦台に矢、鉄棒、数えきれない石を用意し、一か月の食糧と水等も保管したと。 長城の道幅は5頭の馬が並んで進める広さだと。城壁の高さは南と北で違い、 南壁は「北京」の方角に面し、北壁は領土外からの侵略を防ぐため壁麺が高くなっていると。 北3楼を過ぎ、北4楼への急な階段をひたすら登る。 北5桜、北7桜、北8桜の姿も大きくなって来た。 北4楼手前の最後の急な階段に辿り着く。 下から見上げる男坂は思っていたより急勾配で、特に角度の高いエリアには、 長城の壁際に各一つ、中央部分に一つ、計三つの手摺りがついていた。 私も最後は中央の手摺りにつかまり登楼したのであった。 「北4楼」の案内板。 青空によく映える城楼からの眺めは絶景そのもの。 この先の北5桜、北7桜、北8桜へは集合時間の関係で諦めた。 北八楼もズームで。 北八楼近くまでロープウェイでも登れるルートもあるようであった。 ここにも多くの観光客が。 北十楼をズームで。 この敵楼と呼ばれる砦は頂部に居住設備?も。 長城に向かう道路はこの時は大渋滞中。 北4楼から南を見るとこちらも長城が龍がうねるが如く延々と。 北4楼から登って来た北3楼を見る。 そして帰りはひたすら下る。 そして長城を後にしたバスの中は、疲れで多くのツアー仲間はこの後は爆睡へ。 正面に徳勝門箭楼が見えて来た。 北二環路の北側に位置する門。清代の内城には、南に宣武門・正陽門・崇文門、 東に朝陽門・東直門、北に安定門・徳勝門、西に西直門・阜成門の計9つの 「九門」が設けられていた。 多くは城壁の撤去とともに消えたが、徳勝門は正陽門とともに破壊を免れ保存された。 徳勝門は明代に城壁の建造とともに設けられ、塞外へ向かう門であったことから 軍門とも呼ばれた。 12.6mの城台の上に築かれた箭楼は4層構造で19.3mの高さを有し、北に向けて計82の 射撃口を備えている。現在は北京市古代銭幣展覧館になっていると。 そして夕食会場へ。 全聚徳(ぜんじゅとく)は、北京市に本店を置く北京ダックのレストランチェーン。 日本国内では、東京都内に六本木店と新宿店、銀座店の3店を構えていると。 会場入口には順番を待つ多くの客が。 この夜ももちろん中華料理。 ビールも注文。 北京ダックが。 コックさんが目の前で北京ダックをさばいてくれた。 今回の超格安ツアーでは、私にとっては想定外の光景なのであった。 北京ダックというと、北京ダックの皮だけをヤーピンに巻いて食べるという イメージが強かったが、美味しい北京ダックは皮だけでなく、ジューシーな肉が付いていた。 ヤーピンにネギとキュウリを乗せ、甜麺醤とよばれる小麦粉を発行させた味噌を載せて。 4~5枚を食べたであろうか。 美味しくてほぼ完食した我がテーブル。 我がホテルへのバスでの帰路でも車窓風景を楽しむ。 Jing Du Yuan Hotel (ジン ドゥ ユエン ホテル/京都苑賓館)が右手に。 これは西直門(シージーメン)という地下鉄などのターミナル駅のそばにある、 双子ならぬ三つ子のビル。 雨も落ちて来た。 成铭大厦。 「中国兵器」と書かれた看板。 中国兵器工業集団有限公司は、国務院国有資産監督管理委員会の管理、監督する 中国の中央企業である。 銃器、弾薬の開発、製造、及び装甲車、戦車、 無人偵察機等の航空機、ミサイル、水陸両用車、爆弾等の軍事製品の製造を主に行うと。 そして北京市海淀区西四環北路にある、ライトアップされた我がホテル・北京美泉宮飯店に 到着したのであった。時間は20:02過ぎ。 ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
やはり見ごたえがありますね。ここには
一度は出かけてみたいと思ってますが 渋滞の道路にもびっくりしました まるで自分が旅に出ているような 詳しい内容、面白く拝見しました (2019.11.11 15:35:11) |