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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.05.27
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カテゴリ:鎌倉市歴史散歩
『​鎌倉散策 目次​』👈リンク

「正続院」を後にして、さらに円覚寺参道を奥に進む。
左手にあったのが「佛日庵」。



入口から「佛日庵」の「本堂」を見る。
「佛日庵」は、「円覚寺」の開基 北条時宗公を祀る塔頭寺院。時宗公はこの場所に小さな庵を
むすび、禅の修業を行ったと言われている。
1284年に時宗公が亡くなると、間もなく廟所として創建された。
北条氏滅亡後は次第に衰微したが、天文年間(1532~55)に鶴隠周音
(かくいんしゅういん)が廟所の南に玉泉軒を営み、そこに居した。北条氏の末裔を称し
鎌倉を治下に収めた後北条氏の庇護を受けた鶴隠周音は、玉泉軒を佛日庵と改称し、円覚寺の
塔頭として中興した。川端康成の小説『千羽鶴』の舞台になったことでも知られる
茶室 烟足軒(えんそくけん)も、もともとは常に茶を嗜んだという鶴隠周音が構えたもの。



右手奥に「開基廟」が見えた。



その先に「開基廟 山門」。



「贈従一位北條時宗公御廟所」碑。



「山門」から「開基廟」を見る。
「開基廟」の前、両側には緋毛繊の縁台が置かれていた。



ズームして。



「開基廟
圓覚寺大檀那である北条時宗・貞時・高時をお祀りしてあります。
廟所とは、石碑を建てその上にお木像を祀るお堂を建てたものが正式のお墓で、国に特に
業績のあった人にのみ許されたものです。
時宗公は、一二八四年四月四日に亡くなられています。つまりは圓覚寺が建立されてから
二年後のことです。時宗公が亡くなられた後に開基廟が建立されたようですが、現在の開基廟は
江戸時代一八一一年に改築されたものとされています。
新編相模風土記によれば、お堂の下に各遺骨を納めた石櫃があるとの伝えが記されています。
また、幾度の困難な戦災をくぐり抜け、ずば抜けた才能で幕府をまとめあげていたことから、
学問の神・開運の神と崇められていました。」



「開基廟」の内部には木造の「北条時宗像」が確認できた。
出家した後なので剃髪と。この木造の下には石の棺があるそうで、そこに時宗の遺骨が
納められているのだと。
元の来襲を食い止めた時宗、元の植民地計画から日本を護った英傑。
但し、この元の襲来こそが北条家滅亡を生んだのかもしれない。
早世で円覚寺創建から僅か2年で亡くなったと。元寇からは3年目。



更にズームして。



貞時と高時の木像は、時宗の左側に並んであるとネットから。


    【https://ameblo.jp/2055masumi/entry-12214788215.html】より

「開基廟」の「山門」から「本堂」を見る。



以前に戴いた鎌倉二十四地蔵尊霊場第十四番「佛日庵」の「延命地蔵尊」の御朱印です。



以前に戴いた鎌倉三十三観音霊場第三十三番「佛日庵」の「十一面観世音」の御朱印です。



更に最奥に向けて坂を上って行った。



右手にはシャガ(射干、著莪、胡蝶花)の群生が。



佛日庵の向かい側にあったのが「白鹿洞(びゃくろくどう)」。



「白鹿洞」碑。



「白鹿洞
円覚寺開堂の日、開山無学祖元禅師の説法を聴こうとして集まった多くの人々と共に、
この洞穴より白鹿が群れをなし、禅師の説法を聴いたという。大衆は大いに驚異し、この
奇瑞譚により山号を「瑞鹿山(ずいろくさん)」と定めた。
これはお釈迦さまが初めて説法をおこなった鹿野苑(ろくやおん)の嘉例に擬したという。
寺号は「円覚興聖禅寺』というが興聖の号は開山国師ゆかりの地、径山の「興聖萬寿禅寺」に
由第している。」



この洞穴より白鹿が群れをなし出て来たのか。



左手奥にあったのが「續燈庵(ぞくとうあん)」の「山門」。



寺号標石「續燈庵」。



「山門」。
扁額は「萬冨山」。
「山門」が開いていたので境内へ。



正面に「本堂」入口。



「本堂」。
続燈庵(ぞくとうあん)は、第三十世大喜法忻(だいきほうきん・仏満禅師)の塔所。
本尊は観音菩薩。
室町幕府の引付方頭人の今川範国が法忻のために創建し、のちに今川氏親によって再建された。
本尊の観音菩薩は、もと東慶寺に伝えられた像。
法忻は、浄妙寺・浄智寺・円覚寺・建長寺のなどの住職も勤めている。
「銅造仏応禅師骨壺」(夢窓国師の1327年(嘉暦2年)の銘:重要文化財)を所蔵する と。



右手に「寺務所」。



墓地と奥には「やぐら」が。



休憩所か?



そして最奥にあった「黄梅院(おうばいいん)」を訪ねた。



掲示板には
「発願
発願に燃えているものはみな若い いつまでも年をとらないあの菩薩たちのように」と。



「黄梅院
北条時宗公の夫人、覚山尼が時宗公追善の為に建立
北条時宗公の夫人、覚山尼が時宗公追善の為に建立した華厳塔の敷地に円覚寺第一五世
夢想国師の塔所として建てられ、国師の門弟方外宏遠(ほうがいこうえん)が文和三年
(一三五四)に開創した。
後の応安元年(一三六八)、室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)が分骨され足利家の
菩提所としての性格を帯びている。
山号は「伝衣山」。 本堂には 本尊「千手観世音菩薩坐像」の他に「夢窓国師坐像」、
室町期のものとされる銅像「千手観世音菩薩立像」、木造「聖観世音菩薩立像」が
まつられている。」



「山門」。
扁額は「傅衣山」。



木札「大本山円覚寺 百観音霊場 第二番札所 黄梅院」。



左手に「本堂」が見えて来た。



梅の古木に咲く白い花はセッコク(石斛)・長生蘭であろうか。



岩の上や大木に着生して、花を咲かせる着生ラン。



「黄梅院」の「本堂」。
当初は夢窓疎石の塔所として建てられたが、足利将軍家の手厚い保護を受け、以来足利氏の
菩提寺としての性格が強くなったとのこと。



扁額「黄梅院」と書かれているのであろうか。
「梅」の木偏は何処に?
「黃乗◯」と私には・・・・。
『先生』から木編を毎の下に持って来る「くずし字」であると。
よってやはり「黄梅院」と書かれているのであろう。



境内の「聖観世音菩薩像」。



「愛は人の心を豊かに育む 献眼献腎なされし美しい心に思いを馳せ
茲に聖観世音菩薩を奉安す 合掌」。



近づいて。



「献眼献腎供養塔」と。



観音堂(武山堂)。武藤山治の寄進。



「武山堂」碑。



近づいて。



扁額「聖観世音」。



「聖観世音像」。安置されている「聖観世音像」は中国から請来したとされる。



「武山堂」前から「本堂」を見る。



朽ちた樹の切り株から彫り出した仏像が。



「本堂」前から「山門」を見る。




                              ・・・​もどる​・・・

                  ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:30:13
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