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テーマ:旅のあれこれ(9944)
カテゴリ:東海道五十三次:往路
恒例にすることにいたしました、ブサイク全開顔スタートでございます。
ちなみに出発の旨、この顔の写真付きでTeam ROCKSの面々に報告いたしましたなら、「二日酔いで気持ち悪いのにブサイク顔を送ってくるな」と叱られました。 これからは毎回送りつけちゃるっ、けけけけ(笑)。 ささささ、今回もはりきって参りましょう~ 電車に乗りましてね、前回のゴール「鶴見駅」に着いたのが10時30分。 途中で旧東海道がわからなくり、しばらく探しましたがなんだかよくわからないので、国道沿いをてくてくと20分ほど歩きましたです。 11時07分、生麦事件の碑前に到着。 ここで、この国道と合流するはずだったんだけどなー。若干ショートカットしちゃった。 数人の方が、見学・写真を撮っておられましてね、その中の1人のおじさんに写真を頼まれたので、パチリ。 その後は、国道沿いをひたすら歩きます。わかりやすぅい。 しばらく行くと、「浦島町」と言う町に来ましてね。そうです、浦島伝説の浦島ですよ。 そして、このあたりから寺社の嵐なのでございます。 開港してから、続々と外国人がやってまいりましたでしょ。お寺さんは領事館として使用されたそうですが、それを快く思わない昔気質(?)の住職さんもおりまして、「良泉寺」はわざわざ屋根をはがし「修理中だから」と理由を付けて断ったと言ういわくつきのお寺さんなのです。ここに11時41分。 「良泉寺」に「笠のぎ(「のぎ」は禾へんに皇)稲荷神社」 その2分後ー。その裏1本奥の通りには「笠のぎ(「のぎ」は禾へんに皇)稲荷神社」がありまして、鎌倉時代からの社で、社前を通る人の笠が自然に脱げたことから笠脱稲荷大明神と呼ばれるようになったものを、後に「笠のぎ」に改めたのだそうです。 その少し先「能満寺」に6分後。 門前(右側)に「父母のしきりにこひし雉子(きじ)の聲 はせを翁」と言う芭蕉の句碑があります。 この句は貞享5年(1688年)、「笈の小文」の道すがら高野山を訪れたときに詠まれたもので、高野山真言宗との縁でこの句碑がここに建てられたらしいです。 そのちょっと先に「市立神奈川小学校」がありましてね、その壁面に神奈川宿のタイル画があるのでございます。3分後の11時52分。 今この辺、、、海!? もう少し先に進むと、その浦島伝説の「慶運寺(別名:浦島寺)」がありますが、バス停ですっかり満足しちゃったワタクシは素通り。 その他寺社はまだいくつかありましたが、ちょっと道から外れていたりしていたので、先を急いだのでございます。 やっぱ宿周辺は見所満載・・・ ・・・つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 27, 2009 06:08:30 PM
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