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テーマ:旅のあれこれ(9944)
カテゴリ:東海道五十三次:往路
昨日のゴール「名電赤坂駅」までばびゅーんとすべく、「豊橋駅」へ。8時、オハヨーゴザンス。
ちょうど特急(?)が発車するところでしてね、各駅でしか停まらない赤坂駅へは行けるのかどうか駅員さんにお問い合わせ。したっけ、「次の停車駅で降りて各駅に乗れば行けますよ」とのお返事をいただいたので、急いで乗ったです。ふぅ~、グッドタイミング でもね、なんだか乗っている時間が長いのよ。長い、長すぎる。もっと近かったような・・・。 通過する駅を見て、車内にある路線図と見比べ、、、 あり!?とっくに通り過ぎとるっ!!! 容赦なくどんどんどんどん通過してく電車。どこまで行っちゃうのー。もー降りたいんですけどー やっと停まった先は、今日のゴール予定地。いきなりなんだか萎えた(笑)。 今日も初っぱなからやってくれまするなぁ・・・ もちろん引き返しまして、やっと名電赤坂着は9時半過ぎ。 気を取り直して出立でござんすよっ!!!えぃえぃおぉ~っ まずは「大橋屋」さんの中をちらっとご見学。 やっぱ怖くて泊まれねぇ、、、かもぉ(笑)。 広重の絵にある旅籠「清須屋」のソテツは大橋屋手前の浄泉寺に移されたと伝えられています。ずいぶんでっかくなっちゃったなぁ。でも、ちょっち感激したでござんすよ その後はのどかな街道をひたすらひたすら進みますれば。 赤坂(旅宿招待) 左:「赤坂(旅宿招待)」に描かれているソテツ そして1号に出てしばらくしますと、本宿町。平成六年に建てられた「冠木(かぶき)門」をくぐりまして、また脇へ逸れ静かな道が続きます。 国道1号と冠木門 右:法蔵寺 途中で、家康が幼少の頃修行した「法蔵寺」をお参り。11時過ぎ。 ここには新撰組隊長の近藤勇の首塚があります。 江戸板橋で処刑されて京都でさらされた首を、同志が盗み出して密かにここに葬ったと言われています。 当初は世間の目もあったので、石碑は土で埋められ、無縁仏の様にしていたので、そのうちすっかり忘れ去られ(!)、近年になって当時の記録から発見されました。 そこのご住職としばしお話をした後、更に歩くこと1時間、 藤川宿だよっ、お藤ちゃんっ!!! 藤川(棒鼻図) 東棒鼻跡 西棒鼻跡 「棒鼻(ぼうばな)」とは、宿場の出入り口のことです。 ですから東と西とそれぞれあるのですな。 広重の絵の中にもたびたび登場します。 30分ほどで藤川宿を抜け、藤川の松並木。 いやぁ、松並木には毎回癒されまするなぁ 途中、色鮮やかで巨大なトンボが落ちていまして。え!? でかっ!!! こ、これはオニヤンマ??? 本物??? キモっ!!! 怖っ!!! ぴくりとも動きませんでしたが近づく勇気もなく。がんばってこの距離でしたのん。わはは。 田舎モノノワタクシでも初めて見たのでございます。びっくりした。 ・・・つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 24, 2010 01:14:30 PM
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