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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.01.08
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 2015年の最後の金デモが12月20日にあって、それから1月8日まで20日ほどデモはない。そのあいだ、年の暮れ、正月とそれなりにやらねばならぬことはたくさんあるが、なぜかとても退屈だった。
 暮れの大掃除は私が担当する。私一人でやるのである。妻と一緒にやるよりはるかに早く完了する。一人でやる分には、ごまかしは自在なのである。あっという間に終わり、妻は大掃除が終わったと(信じて)満足する。こんな大掃除で退屈はまぎれようがない。
 次に、正月料理の買い出しに登山用のザックを担いで出かける。毎年の決まった買い出しなので、B5版に印刷したメモを渡されるので、チェックしながらザックに放り込むだけの仕事である。いくぶん肩にズンと来るが、退屈はまぎれない。買ってきた材料で、おせち用の煮しめを大鍋一つ作る。煮しめとだし巻き卵はずっと私の担当で、料理しているときはいくぶん集中して、さすがに退屈しない。
 妻がキントンや膾などのこまごましたものを作っている間に、かまぼこやハムなどを切りながら時間をつぶし、最後にお重に並べるのも私の仕事だが、このあたりですっかり飽きてしまって、退屈は極まっている。

 正月三が日はもっと退屈である。朝の餅は私が準備するが、夕方はご飯を炊くので妻が作る。もうたまらなく退屈なのである。義母の介護もあって、体を動かす機会はけっこう多いのだが、心は退屈なのである。
 それで本を読む。デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』を読み終えた。ついでに、デリダの『マルクスの亡霊たち』、『ならず者たち』の再読もした。ルロワ=グーランの『身振りと言葉』は、680ページのうち620ページまで読み進んだ。ほかに、詩集を2冊、全詩集を1冊。
 それでようやく1月8日の金デモにたどり着いた、そんな感じである。

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集会風景(元鍛冶丁公園)。(2016/1/8 18:14)

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フリー・トーク。(2016/1/8 18:12~22)

 元鍛冶丁公園に着いたのは時間前だったが、けっこう人が集まっている。みなさんデモを待ちかねていたのではないかと思ってしまうほどの出足の良さなのである(私のように退屈していたなんてことはないだろうが)。

 フリースピーチは年初めのデモらしく、情勢分析から決意の表明に続く挨拶で始まった。続いて、福島から参加された方が、政府の無策のまま放っておかれる福島の現状を怒り、そのアピールをしたくて仙台のデモにやってきたと話された。
 次に、「ふくしま共同診療所報告会」の告知があった。ふくしま共同診療所は、放射線被爆の影響をできるだけ過小評価しようとする福島県や福島県立医大に対して、「内部被爆・低線量被爆」のに危険から福島の人々の健康を守るべく設立された。その医療の現場から福島の実情を報告する会が、診療所医師の杉井吉彦さんを講師に、1月31日(日)午後2時から仙台市黒松市民センターで開催される。
 ただし、おなじ1月31日には、月1回の脱原発日曜昼デモが午後2時から勾当台公園で、「オールみやぎの会」主催の「激おこ!! 参議院選挙勉強会」が太白区中央市民センターで午後3時から開かれる。
 宮城県議会議員の遠藤いく子さんが、「脱原発をめざす宮城県議の会」の結成からこれまでの経過、活動への決意などを話され、そのなかで保守系会派の中にも隠れ脱原発派の議員がいることなども明かされた。県議の会では、さっそく女川原発の設計にも携わった元原子炉技術者の後藤政志さんを招いて勉強会を開くということだった。
 最後に、現在行われている電力自由化の公開ヒアリングへの参加の呼びかけがなされ、自由化後には既存電力会社からの乗り換えを希望する人は半数を超えるという東京のアンケート結果の話題などが提供された。乗り換え理由の第1は安い電力料金だが、2番目に原発による電力の拒否が挙げられていることは注目してよいだろう。

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元鍛冶丁公園を出発。(2016/1/8 18:32、33)

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一番町に入って。(2016/1/8 18:36~40)

 決して暖かくはないが、厳しい寒さというわけではない。暮れから正月を暖かく過ごしたせいもあって寒く思えるが、仙台としては「凡庸な寒さ」というところだ。そのせいなのか、今年初めてのせいなのか、出発したデモがあげるコールの声は、冬デモにしては伸びやかだ。

 一番町に出ると、相変わらず電飾がきらめいている。昨年までのことは忘れてしまったが、イルミネーションは歳末だけだと思っていた。「仙台光のページェント」が歳末のイベントで、街のイルミネーションはずっと続くらしいのだが、いったい、何を契機に終らせるのだろうか。そんなことが気になる。

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ぶらんどーむ一番町。(2016/1/8 18:43~44)

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サンモール一番町。 (2016/1/8 18:45、46)

 広瀬通りを越えてぶらんどーむ一番町に入ると、暮れと少し雰囲気が違う。植木のブルーのLEDが増えているような気がする。中央通りを過ぎたサンモール一番町の電飾の特徴は植木のブルーのLEDだったが、それよりやや大きめのLEDが新たに飾られているようだ(あまり自信のない記憶だが)。

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東二番丁通りを越えて。 (2016/1/8 18:54、55)

 先史学者で社会文化人類学者でもあるアンドレ・ルロワ=グーランの『身ぶりと言葉』は、人類の発生から現在までの進化の過程を生物学的、社会学的、文化論的に説き起こした大作であるが、そこで解明されている人類の進化は興味深く、かつ悲劇的である。ルロワ=グーランは、1964年の著書の中ですでに次のように述べている。

 現在でも、適応は終っていない。進化は新しい段階、脳を外化する段階に及びはじめ、厳密に生活技術の観点からすれば、転換はすでに行われている。〔……〕時間・空間の縮小、行動リズムの増大、一酸化炭素や産業公害への不適応、放射能の浸透性などは、長いこと人間のものと思われてきた環境に、人間が生理的に適応できるかどうかという奇妙な問題を提示している。十全に進歩を利用しているのは社会だけだ、ということにならないかどうか、自問してみることもできよう。個人としての人間は、すでに時代遅れの有機体であって、小脳や喚脳、手足のように役には立つが、人類の下部構造として背景に退き、〈進化〉は人間よりも人類に興味をもっているのではなかろうか。その上このことは、人類という種と動物種の同一性を確認するに他ならない。動物種については、種の到達点だけが考察の対象になるからである。 [1]

 ヒューマニズム(人間中心主義)は、完全に沈黙せざるを得ない。人間が作り出した一酸化炭素や産業公害や放射能によって、個別の人間ではなく、人類が適応可能かどうか問われている。いまや、個人の私(たち)は時代遅れの有機体に過ぎないという。つまり、一酸化炭素や産業公害、放射能へ私たちの身体的適応は絶対に追いつかないということだ。
 一酸化炭素(地球温暖化)の問題も放射能(原発、原水爆)の問題も、その反人類的な本質は明らかにされているにもかかわらず、資本主義を是とする国家群は解決を拒否している。産業公害もまたインドや中国の大気汚染を見る限り、地球規模の解決の見通しは立っていない(国家権力群は解決しようともしない)。この国家権力群は、ネグリ&ハートに倣って《帝国》と呼ぶと概念的にはすっきりと納まるようだ。

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青葉通り、最後の信号。 (2016/1/8 18:57)

 人類の進化と適応が重大な危機に直面していることを、ルロワ=グーランの記述で辿っているとき、息抜きで読んだはずの詩集の中に、人類どころか地球そのものの墓碑銘が記されていた。

〈墓碑銘〉
太陽が滅び進化のはてに赤色巨星となり白色矮星と化した その億年の大昔
太陽系の惑星((地球))に人類という生物が住み
他に比類なき智能を具有し 火星を探査し月に資源を漁り
宇宙を往来するほどの科学の粋を極めたが
文明から精神を欠落して五蘊皆空を悟らず
権力者のムレが互いに国家を樹てて領土と富を諍い
そして遂に夢魔の生きものと化し
漂える宇宙の塵となった 

  「百鬼夜行の世界の闇に冥府の雨が降っている」(部分) [2]

 「そして」なのか「だから」なのかは措くとして、私たちは五蘊を駆使して、原発に反対し、その国家の政策に反対し、今年初めてのデモを歩き、そのデモを終え、明日のさらなる行動へと繋げるのである。

 

[1] アンドレ・ルロワ=グーラン(荒木亨訳)『身ぶりと言葉』(筑摩書房、2012年) pp. 400-1。
[2] 尾花仙朔『晩鐘』(思潮社、2015年) pp. 126-7。

 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

 






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Last updated  2017.06.17 20:33:18
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