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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2016.04.24
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

溶けさうな大きなあをさを空と言ひその空を歓ぶ春ふかくして
                 河野裕子 [1]

 咲き残る桜もまだ少し見ることができる四月最後の日曜日、とても暖かな日になった。8時半に家を出て、上天気の空を見上げながら、「今日は遊ぶ暇がないなぁ」とちょっと悔しく思い、植え替えが遅れているいくつかの花木のことなども思い出した。
 町内会の総会があって、その会場設営を手伝おうと早々と家を出たのだが、私が着いた時には準備が終わっていて何もすることがないのだった。総会が終わり、昼食をとりながら反省会をして、家に戻ると午後1時半である。
 急いで着替えて、家を出直し、元鍛冶丁公園の午後2時の集会にはなんとか間に合ったが、もう汗だくである。ザックからカメラを取り出し、そのスペースにジャケットを詰め込んで顔をあげたら、集会は5、6人のゴミ拾いから始まっているのだった(ゴミのほとんどは煙草の吸殻だ)。

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集会前のゴミ拾い。(2016/4/24 14:03)

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集会@元鍛冶丁公園。(2016/4/24 14:12)

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スピーチ。(2016/4/24 14:12~29)

 「ゴミ拾いの皆さんもこちらにお集まりください」という言葉で、集会が始まった。天気の良い休日は参加者が少ないというのは経験が教えてくれる。今日も少ないな、と思っていたのだが、気が付かないうちに増えていて、デモが始まると45人になっていた。私が見ていたかぎりでは、4人の人が一番町でデモの列に加わった。

 最初のスピーチは外国から戻られたばかりという方で、日本が自然災害でも政治の問題でもいっそう大変ことになっていることをあらためて実感したこと、安保法制や原発再鼓動により強い反対の意思表示をしていきたいと表明された。
 続いて、今年2月に発足した「女川原発の再稼働に反対する東松島市民の会」の方が最近の活動を報告された。東松島市民の会は、登米市、美里町、南三陸町、涌谷町の市民団体とともに3月初めに「女川原発UPZ住民の会」を結成した。このUPZ住民の会には、女川原発の30キロ圏で緊急時防護措置区域(UPZ)に指定されている7市町のうち石巻市と女川町の立地2市町を包囲する地域の5市町の市民団体が参加していることになる。東松島市民の会主催の最初の原発問題の学習会には70人もの参加者があって、現在、福島の除染作業に従事された方を講師に迎える2回目の学習会を計画しているという。
 23日に開催された映画『逃げ遅れる人々(東日本大震災と障害者)』とアニメ『無念』の上映会の報告に続いて、5月29日に開催される「事故が起きたら逃げられるのか? 市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」でも障がい者の避難の問題もテーマの一つになるという告知があった。
 最後に、熊本・大分大震災やそれをめぐる政府の対応、稼働を止めない川内原発などの問題を取り上げて、そのような現状を厳しく批判するスピーチがあった。

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一番町に出て。(2016/4/24 14:40~45)

 一番町に出て、陽に輝いてやけに明るい人混みの中を歩き出して、とつぜん思い出したことがある。まだだいぶ若かったころ、こんなにも明るい昼日中の街で、人も風景も急速に遠ざかっていくように見え、なぜ私は人々からも風景からもずっと離れて一人で歩いているのだろう、と思うことがあった。たびたびそんな気分に陥っていたのに、今はまったくそんなことはない。いつごろから起きなくなったのかも記憶にない。たぶん、何十年もなかったのだ。デモの列を追いかけながら、そんなことを思い出していたのだったが、そのうちに陽が翳ってしまった。

行きずりの 誰かが誰かに話しかける
この人があの人で
あの人がこの人であってもいいのだ
こんなにゐるのに たった一人のひとがゐない
(……)
こんなにゐるから さびしいのだ 完璧に
しびれるほどに
(こんなに似てゐて 誰かは誰かをわからないから)
何をしてもわかられる心配はないから
みち足りて こどくなのだ

           吉原幸子「街」部分 [2]

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一番町を行く。(2016/4/24 14:41~45)

 一番町広瀬通り角ではYMCAの若い人たちが熊本地震災害への救援金を呼び掛けていた。何人かはデモの列に手を振り、私たちのコーラーは「熊本地震災害の救援金カンパを行っています。ご協力ください」とトラメガを使って市民に呼び掛けるという交換シーンもあった。

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青葉通りに曲がって。 (2016/4/24 14:54)

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デモの終了。 (2016/4/24 14:05、06)

 まだ若い緑だが、青葉通りのケヤキは葉が茂りだした。まもなく5月、青葉若葉の季節が仙台では一番いい季節だと、私は思い続けている。心落ち着かない桜の季節が終わって、仙台の街中の緑色は奥州山地の山々に続くようになる。
 私は桜が嫌いなわけではないのだが、芥川賞を受賞した青山七恵の小説の一節に次のような文章があって、この若い神経症に苦笑しつつも少しばかり共感できるのはたしかだ。

 駅前の桜並木で、白い花びらがはらはらこちらに散ってくるのがうっとうしい。春なんて中途半端な季節はいらない。晴れていてもなんだか肌寒い日ばかりで、じらされているようなのが気に障る。冬が終わったらいきなり夏が来ればいい。花見がどうだとか、ふきのとうや菜の花や新たまねぎがおいしい、なんて聞くと、浮かれるなと怒鳴りたくなる。自分はそんなものには踊らされない、と無意味に力んでしまう。
                    青山七恵『ひとり日和』から [3]

 

[1] 河野裕子『歌集 紅(こう)』(ながらみ書房、1991年)p. 13。
[2] 吉原幸子「詩集 夏の墓」『吉原幸子全詩 I』(思潮社 1981年)p.208。
[3] 青山七恵『ひとり日和』(河出書房新社、eBookJapan電子書籍版) p. 14。

 

 

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Last updated  2017.04.08 20:50:33
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