トゥザヴィクトリー
ミツオーです。右ほほの内側をはげしく噛みました。さて、論旨としては同じですが、具体例がちがうお話。音引き、つまり「ー」があるかどうかをどこまで表記どおりに発音するか。これもひとによって意見がわかれるところだと思います。つまり、トゥザヴィクトリーをどう読みますか?ということ。よりわかりやすく表記するなら、「トゥザヴィクトリー」を「トゥーザヴィクトリー」と読んでもいいか?ということですな。英語表記では「to the victory」であることが明白なこの馬名について、あくまでカタカナ表記に忠実に読むかどうか。これはひとそれぞれ、このみがあるんですねえ。実際、トゥザヴィクトリーについては、表記に忠実な読み(のばさない)をきいたひとが、「気持ちわるい。ちゃんと『トゥー』ってのばしたほうがいい」といった、という話をきいたことがあります。ドゥアズマムディドという名前の馬がいるのですが、これは「do as mom did」だろうと推測できます。「do」という単語は、まあ中学校で英語を一応ならったわたしとしては「ドゥー」とのばして発音したい。しかし字面(じづら)だけみると、そこに音引きはなく、したがって表記に忠実に読むなら、のばしちゃダメなわけです。結論をいうと、一応わたし自身は音引きがあればあるように、ないならないように発音しようと心がけています。ようするにできるだけ表記に忠実に。なぜなら、同じ単語なのに音引きのある名前とない名前、どっちも実在するからです。わたし自身の経験では、同一レースに「マイティー○○」と「マイティ××」が出走していて、これを読みわけようと苦労したことがあります。このときは、最初はきちんと呼びわけていたのが、途中でまざってしまいましたが(ダメじゃん)。もちろん中には「音引きがないけど、これはきっとのばして読んでほしいんだろうな」と思う名前もあります。むかし、うつのみや競馬で「なんとかビュティ」という名前の馬が走っていたことがあります。「ビュティ」ですよ。せめて「ビューティ」ならなあ。この「ビュティ」を「ビューティー」と発音するのはあんまりでしょう。でもこれはきっと「beauty」だろうと思うわけで、表記どおりバカ正直に「びゅてぃ」と読むのは、もっとあんまりな気がする。カタカナで書けばホントは「ビューティー」または「ビューティ」ですわいな。字数の問題で音引きを割愛しちゃったんだろうと思うのです。あまりおおっぴらに「ビューティー」というのも気がひけたので、心もち「ビューティ」にちかい発音、という微妙なことをした覚えがあります(←無駄な努力)。競走馬の命名者の方が、「どういうつもりでその表記にしたのか」、これは、「どういうつもりでその名前をつけたか」以上に、わかりにくいことです。ま、だいたいは字数制限があるせいで音引きを省略することにした、ということなんでしょうけれども、もちろんわざわざその表記にしている方もあることでしょう。わたしは、シンコウラブリイという名前は、「シンコウラブリー」じゃないところがいいと思っています。どっちも発音すれば同じなんですが。きっと命名者の方も「そこは音引きじゃないほうがよい」と思ってわざわざ「イ」にしているだろうと思うのです。なかにはそういう「表記にたいするこだわりをもつ命名者」もあるわけです。そういう命名者の方の想いにこたえるためにも、音引きのないところをのばしたりはしないぞ、と心ひそかに決めてみたりして。音引きのあるものについては悩む余地がありませんから、困るのは音引きのない例についてです。「音引きがないものはのばさない!」と決めたはいいが、次から次へと「のばさないと気持わるいなあ」と感じる例がでてきて、決心がぐらぐらとゆらいでしまうわけで。この話、もう1回つづきます。