みんなひとりぼっち。
幼い頃からお節介なせいか、何でもまとめ役を任されがちで。大勢の前に出るのも、人を動かすのも得意な方だった。これは、人好きで面倒見のいい母の影響が大きいだろう。彼女は子沢山の兄弟の中で育ったせいで、超寂しがり屋。沈黙に耐えられず、我が家は年中無休のウエルカム状態で、誰かしら人が出入りしてた。時には私の同級生も男女構わずふらっと遊びに来るような賑やかすぎる環境で、多くの人人と関わりながら私は育った。“みんないい人“の中に長く居すぎたから、上京後、大学の人間関係で二度も苦しむことなど、考えもしなかった。随分前にブログに書いたので、これ以上触れないことにするが。仲良くしていた人達に見捨てられ“透明“になってしまった時は、さすがに“孤独“を感じ、大学に行くのさえ苦しかった。『地域版SDGs調査』による「47都道府県の住民に聞いた“孤独に悩む人が多い都道府県ランキング“(2019年7月12日~29日調査)」の記事を読んだ。インターネットで回答したのは、約1万6000人。住民の悩みとして挙げた48項目のうち「孤独に悩んでいる」と答えた割合が多い順に紹介されていた。“県民性“でこの悩みを括ってしまうのは、個人的に疑問だ。でも、順位よりも“孤独に悩む“がこんなに多いことの方が驚きだ。少し前『スティホーム』期間に、「誰かと話したい」と願う孤独に耐えられない女子大学生の話を書いた。あの時も意外すぎて驚いたのに、全国的に見てもこんなにみんな“孤独“を感じて悩んでいることが、正直なところ信じられない。私も経験済みだから解るが、“孤独“は確かにツライ。でも、それは己の考え方次第であるのも事実。何を以て孤独とするか? それは個々で感じ方が違うので、どれが正しくてどれが間違いとか、誰も判断できない。大学の時の私は、誰かしらが周りに居る九州の環境とのギャップが、あまりにもありすぎたから、ある日急に仲間が私を見てくれなくなったことに耐えられず、“孤独“に陥ってしまったけれど。あの時、自分から誰かに声をかけて一歩前に踏み出す勇気があれば、そんなに苦しまずに済んだのかも?と今なら分かる。でも当時は頭が真っ白になり、自分からも“距離を置き“、敢えて無視された理由について友達に聞かないでいた。そんな変な気を遣わないで、しれっといつも通り話してみれば、案外向こうも普通に接してくれたのかもしれない。つまり“孤独に悩む“くらいなら、“孤独“にどっぷりハマる前に、自分から何かしらアクションを起すことがひとつの鍵になると思う。その時に、どう動くか。その状況をどう捉えるか。その違いで見える世界は、随分変わるだろう。元教師の伯母は癌が発覚する前、最愛の夫を亡くして傷心から立ち直れない寂しがり屋の我が母に、穏やかに話したそうだ。「死ぬときは、みんな、独りになるんよ」伯父に支えられ精一杯生きて、その言葉から1年後に伯母は独りでこの世を去った。根が寂しがり屋で人の中に居るのが好きと思っていた私も、大人に成ってみれば、そんなにワイワイガヤガヤするのが性に合わないって分かった。だから煩わしい人間関係もその都度整理し、“距離感”を間違えないよう自ら後ろに引くようになった。友達は随分減ったけど、寂しいと思うのは距離をとった初めのうちだけ。そのうちだんだん、何も感じなくなる。ただ、その人との“楽しかった想い出”だけ、大事にして時々振り返ればいい。“孤独“って響きは、なんだかヤケに胸がきゅんとなるけど・・・色んな人との関わり方をした上で言えるのは、今の“ひとり“になる時間も思ったほど悪くない。“おひとりさま”上等! 気楽なもんよ。さぁて、駄文はこのくらいにして・・・本気原稿と向き合う孤独な闘いに戻るとするか! ホントこの孤独の方が、誰も頼れず、結構キツいよ(涙)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「そんな会見するほどの人? 男を語る前に人としてどうなの?」one of my favorite songs