空爆されたお寺跡↑(2007年12月1日、シェンクワン、ラオス)
ホーチミンルート近くの家の軒先↑(2007年9月26日、サワナケート、ラオス)
ラオスは桃源郷だと私は思いますが、それでも様々な問題を抱えています。
その一つは、ベトナム戦争の負の遺産です。
ベトナム戦争の負の遺産には3つあります。不発弾、民族間の対立、物言わぬ国民の3つです。
不発弾は今でもたくさん残っています。年間300人が爆発事故により被害を受けています。ラオスには世界で最も多くの不発弾が眠っています。不発弾のために農作業にも出られない地域がいまだに残っています。日本のNGOもラオスで地雷除去を行っていますが、まだ8,000万発は残っています。数百年たっても除去作業は終わりそうもありません。
ベトナム戦争の時に、ラオスが戦場になっていたことを知る人は少ない。しかも、大量の爆弾がラオスに投下されています。ラオスに投下された爆弾の量と、ベトナムに落とされた爆弾の量のどちらがどれだけ多いかご存知でしょうか?(続く)
【Bon appétit !】
The actual fighting in Laos involved the North Vietnamese Army, U.S. troops and Thai forces and South Vietnamese army forces directly and through irregular proxies(代理)in a struggle for control over the Laotian Panhandle(細長い地域). The North Vietnamese Army occupied the area to use for its Ho Chi Minh Trail supply corridor(ホーチミンルート)and as staging area for offensives into South Vietnam. There was a second major theater of action on and near the northern Plain of Jars(ジャール平原).
(https://en.wikipedia.org/wiki/Laotian_Civil_War)