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カテゴリ:スピリチュアル
おかげさまで、2/2に無事退院して参りました。
体力が相当落ちてしまっており、ウチに入る時も、ほんの数段の階段を 登ることができませんで、焦りました。 家には、前日の夜中にまた大阪から戻ってきてくれていた息子がいて、 エムコは仕事、そしてなんと母は、近所のクリニックに行っていました。 私の入院中、奮闘してくれてた母は、気が緩んだのか疲れがどっとでてしまったのでしょう。 ひどい風邪をひいてしまっていました。 部屋に入ると、太陽が一杯入るリビングの窓際に、 母が自分の簡易ベッドを私のためにしつらえてくれてくれていました。 いつもは北側の寒い部屋のベッドで寝ていたのですが、 しばらくは、日中も横になって過ごす事が多いだろうと、 母は温かさ満点の用意をしておいてくれました。 ありがたかったです。 母は、咳と鼻水がひどくなってしまい、エムコや私に移したら大変、と 和室に自主隔離。 夜、仕事からエムコが戻って来て、 やっとみんな揃いました。 エムコは、私が入院してからその直後わかった妊娠、 結婚を決めるまでの過程、その後の煩雑な手続きや 分娩予約がどこもとれなくて、焦りまくった日々など、 ひとりで何もかもやらなくてはいけなかったこの一ヶ月で、 かちかちに心も身体も固まってしまっているように見えました。 私も、何もできない自分にじりじりしていましたけれど、 この夜、先に寝てしまった母を除く親子三人で、 たくさんたくさんおしゃべりをして、 徐々に固まっていたものが、柔らかく解けていくのを感じました。 エムコは本当に、何もわからない中、 つわりも始まっているのに仕事も休まずに 色んな手続きや役所や産院や、全部ひとりでこなしたね。 よく頑張ったと思うよ。 本当ならお母さんが、色々一緒に動いて、 助けてあげなくちゃならなかったのに、 本当によくやったね。 というと、 エムコは、そういってもらう事で、 やっと報われた、みたいな泣き笑い、みたいな表情で、 お母さんと話したかったんだ、と言いました。 三人でゆっくりと話しながら、 なんとも不思議なこの一ヶ月を振り返りました。 1/6にエムコから妊娠報告を受けた時、 息子は、上司に東京への転勤願いの相談のため、 まさに車のキーを持って家を出る所だったんですって。 末期癌患者と後期高齢者の遠くで働くことはきついです。 更に妊婦まで加わってさ〜、と三人で大笑い。 エムコは、 たぶんお母さんが入院していなかったら、 何もかもお母さんに頼って、 あれもできない、これもやって、 と言いたい放題の子供のままだった。 きっとこれは、何か大きな意図があるよね。 短いこの一ヶ月で、学びなさいって事だったんだよね。 私自身、手も足も口も出せない状況で、 エムコがどんなに大人になったか、 冷静に物事をすすめて、きちんと自分で処理をしてゆけたか、 驚きの連続でした。 こんなにしっかりしてたんだ、この子は、 と、ハッとさせられました。 もう子供扱いする二人ではない。 むしろ、安心して私が頼っていい二人になっている、と 心の底から思いました。 息子は、 1/6に、電話くれた時、お母さんに電話かわったでしょ、 そしたら、お母さんは、この命は天使だ、って言った。 その言葉はすーっと胸に入って、 ああ、本当にそうだ、と思えた。 今までお母さんが色んなスピリチュアルに凝って、いろんな発言を聞いてきたけど、 今回は俺もその通りだと思ったよ。 と言いました。 その後は、二人の反抗期の時代がいかにすさまじかったかなど 思い出話で盛り上がり、 お兄ちゃん、自分だってお母さんに うるせえ、くそばばあ、しね! なんて暴言吐いて、超こわかったのにさ、 自分の反抗期が終わって、私の番になったら、 部屋に呼びつけて、 お前、何だ!今のお母さんに対する態度は! って説教したんだよ〜 などなど、 昔話に大いに笑って、夜は更けていきました。 家族で話す、って本当に心が落ち着く。 みんなのそばのぷーちゃんが、これまた幸せそうで、 寂しかったのを我慢してた様子を聞いてましたから、 あ〜、やっぱりぷーちゃんも家族なのね。と思った夜でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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