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カテゴリ:戦争・紛争・平和、原発、災害
今月中旬に、実家の両親と沖縄に行く予定。
目的は、父の戦友の戦没地巡拝。 父の学生時代の友人が、沖縄で何人も戦死しているのだ。 父の学友の大多数は、戦況が悪化した頃沖縄に配属されたらしい。 そして父は、千島列島の占守島に配属された。 その時父は、「あいつらは暖かいところに行けていいな」と思ったらしい。 元気な時の父は、何度も仕事や団体旅行などで沖縄にも行ったけれど、戦友の戦没地に行こうとまでは強くは思わなかったようだ。 しかし、年をとり、脳梗塞を患ってから、時々沖縄で戦死した友人達が夢の中に出てくるようになったらしい。 「おーい、おまえが来ないと面白くないから早く来い」などと、父を呼ぶのだそうだ。 それで、生きている間に友人達が死んだ場所に行ってみたいと言い出した。 それで、私がヘルパーとなって、二泊3日の沖縄旅行を計画したわけだ。 今日は、父と二人で札幌の「沖縄コンベンションセンター」に行き、父の友人の戦没地と最初に祀られた場所を調てきた。 職員の方がとても親切に色々と調べてくださったので、今回の旅行の目的のほぼ半分は達成した感じで、父はとても喜んでいる。 沖縄戦は日本で唯一といってよい地上戦があった場所。 そこでどのような悲劇が繰り広げられたことだろう。 沖縄出身という職員の人に、 「それではお身内の方も戦争で・・?」と聞くと、「はい・・」と答えた。 それ以上のことを聞くのは怖くて、「そうでしたか・・」としか言えなかった。 父も、終戦後に占守島で侵攻してきたソ連軍と戦い、二年の抑留の後に復員した。 同じ教室で学んだ仲間は、北と南で戦い、生死の明暗を分けた。 学生時代には、誰かを殺したいなどとは考えることもなかった若者達は、殺すか殺されるかの戦場の中で銃を敵に向けざるを得なかった。 結果的にその銃口が火を吹く時は、誰かの命が失われたことだろう。 多分父も、そのようにして生き延びたはずだ。 そんな歴史の上に、今の日本はある。 どのようないきさつがあろうと、平和憲法(九条)は日本人が「どんな理由があろうと戦争はもうこりごり」という思いで受け入れ、納得して守ってきたはずだ。 それには、世界平和への強い願いと理想が裏打ちされていたはずだ。 今の日本は、現実や「国益」という利益追求のために、理想を手離そうとしている。 ふと思う。 そういえば、あの「特攻隊」は追い詰められた日本人の自爆テロではないか。 あの頃はきっと、特攻隊は英雄だったはずだ。 イラクにおいて、自爆テロをしている人たちが英雄でないことを祈る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年04月18日 09時37分15秒
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