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テーマ:ニュース(99435)
カテゴリ:戦争・紛争・平和、原発、災害
昨夜は、9時過ぎに「3人が解放」のニュースが入ってから、テレビに釘付けになっていた。
それらの感想についてはひとまず置いておいて、 まずはイスラム聖職者協会のクバイシ師など、今回のことで尽力してくださった人たちに心から感謝をしたい。 テレビでクバイシ師に笑顔で声をかけられて涙ぐむ高遠さんの姿に、滅多に涙が流れないクールな私も気がついたら涙を流していた。 高遠さんがどのような気持ちで涙を流したのかはわからないけれど、私の涙は、クバイシ師の人間的な大きさを感じてのものだったと思う。 さすが聖職者協会のリーダーだと感じたのだ。 彼は少数派であるスンニ派のリーダーであるが、多数派のシーア派との連携を呼びかけているようだ。 イラクの人たちにとっては、アメリカを中心とするイラクでの軍事行動は、とても納得できるものではないだろう。 人々にとっての心の拠りどころとも言えるモスクを攻撃するなどは、 私などですら「それをテロと言わずに何と言うのだ!?」と思うのだから、 イラク人にとっては宗派の違いを超えて許せないことになるだろうし、それに対しての抵抗運動は当然のなりゆきだと、私のような素人でも思う。 (蛇足だが、人質をとって何かを要求することを正当化しているわけではない。誤解されると困るので、念のため・・) そのような中で、アメリカに加担している日本と民間人とをキッチリ分けて考え、人質の解放を呼びかけ続けてくれた聖職者協会と、 それを支援してくれたイラクの人たちに「ありがとう」を何万遍も言いたい気持ちだ。 武装グループが、自衛隊の撤退要求声明を三人に託したこと、 そしてクバイシ師が「ファルージャの状況を日本に伝えて欲しい」と言ったことは、当然のことである。 まだ二人の日本人の行方が気にかかるが、こちらも無事に解放されたなら、本気で日本政府も「冷静に日本のあるべき姿」を考えて欲しいと願う。 今回のことで、「自己責任」ということが随分言われていた。 そのことの重さをどのくらい自覚して、三人やその家族を批判していたのだろう。 批判している人の自己責任とは何なのだろう。 他人に自己責任を説くならば、自分の責任のあり方も同時に深く考えて欲しいものだ。 (特に、責任ある立場の人には強く言いたい) 今回のことで、私達は多くのことを考え学んだはずだ。 一人の行動は、一人の命は、決してその人だけのものではないと言う事を・・。 人間は意識するか否かに関わらず、みんな繋がりあって生きている。 私は、人間の一番大切な仕事は「あの世からお迎えが来るまで生き続けること」だと考えている。 だから、どんなに思想信条が違おうとも、他の人の命を軽んじてはならないと思っている。 人の命が徹底的に軽んじられるのが戦争だ。 だから、戦争を正当化する人は、実は自分の命も軽く見ているのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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