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テーマ:ニュース(99415)
カテゴリ:戦争・紛争・平和、原発、災害
安田純平氏への非難やまず…同胞の解放を“喜ばない”日本の自己責任論の異常さ――古谷経衡11/1(木) 9:00配信
― 連載「ニュースディープスロート」<文/古谷経衡> ― ◆’04年のイラク人質事件時よりも醜い日本の自己責任論 シリアで3年以上拘束されていた安田純平氏が解放された。手放しで喜びたいニュースだ。危険を顧みずジャーナリスト魂を披瀝した安田氏は、国民的英雄として凱旋でもって迎えられるべきである。ところが、ネット世論ではまたぞろ安田氏への自己責任論が湧出している。いわく「自己責任と自分で言って危険地帯に行ったのだから安田を助ける必要はない」というもので、これまで’04年のイラク日本人3人人質事件、’15年の後藤健二氏誘拐殺害事件でも、繰り返しこの手の自己責任論は噴出してきた。 しかし、仮に予め危険を知っていたとはいえ、同胞が危機を乗り越えて日本に帰国することを手放しで「喜ばない」国民がネット空間に少なくない国というのは、世界広しといえど日本くらいしかない。はっきり言って異常である。 同胞意識、つまり同じ国民であるという国民国家の構成員という自覚がまるでない。「自分でやったことは自分で責任を取れ」というのなら、国民国家の存在理由はなくなり、共同体の最大単位は自警団でいいということになる。 仮に被害者がアナーキストであっても国家は邦人救出の義務があるが、自己責任を叫ぶ連中にはこうした近代的自意識というものがない。まるで国家なき部族社会のようだ。それに飽き足らず、安田氏は拘束動画で「ウマル」と名乗り「私は韓国人です」と発言したことから、「安田はウマルという名前の在日朝鮮人」というデマさえ定着した感じがする。 真相は安田氏が取材で「犯行グループに『韓国人だと言え』『本名を名乗るな』と言われ、それに従って『韓国人』、(イスラム教徒の名前である)『ウマル』と言った」と答えている。 この自己責任論、現在世界で跳梁跋扈するネオリベの主張と瓜二つだ。要約すると「自分の稼いだカネが不道徳な他者を助けることに使われるのはけしからん」というもので、典型的なのがトランプ支持者の共和党ネオリベ層である。日本でも、安田氏解放と時を同じくして麻生太郎財務大臣が同じ世界観を開陳してはばからない。 麻生いわく「飲み倒して運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うと思った」。麻生はこの「先輩」の発言に完全には同意しないと説明したが、つまり「不道徳な野郎に俺のカネを使うな」という感覚で、これが世界中のネオリベの根底にある。 欧州の反移民感情にもこれと同じものがある。ネオリベは日米欧揃って中産階級以上で、会社経営者など地位の高い者が多く、父権性を重視する中年以上の男性に多い。だが欧米のネオリベも、海外で危険な目に遭った同胞を唾棄する姿勢はない。そういった意味で日本の自己責任論はネオリベの亜種の類いであり、20世紀以降の国民国家では類例を見ないほど異質な部族的・ムラ的閉鎖性を帯びている。 ’73年、カンボジアの内戦を取材中に殉死した戦場カメラマン、一ノ瀬泰造氏の死の前後の新聞を調べたが、記事は英雄視一色だった。たった50年とたたずして、日本社会はこんなにも部族的になったのだ。――いや、元来日本人は自力救済を旨とする剝き出しの自助社会という評価もあるが。 【古谷経衡】 ふるや・つねひら。‘82年北海道生まれ。文筆家、評論家。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。ネット保守、若者論、社会、政治などで幅広く評論活動を行う。著書に『日本を蝕む極論の正体』(新潮新書)ほか多数。新刊に初の長編小説『愛国奴』(駒草出版) 安田さんが解放されたことを知ったのは、ウズベキスタンのツアー中だった。 本当に良かったと、ツアーの参加者と共に喜び合った。 その中に「自己責任」と彼を非難する人はいなかったし、日本で誰が何を言っているのかもわからず、ただその無事な帰国を喜んだ。 解放の陰でどのような人や組織が動いたかわからないけれど、もしも身代金を日本が裏ルートで支払っていたとしても、またもしもそうであったなら、「よくやってくれた!」と拍手したい気分だった。 なのに、日本国内ではこんな批判が出ていたなんて、まったく情けないの一言に尽きる。 「飲み倒して運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うと思った」という人が政府の中心にいるなんて、心からの怒りを覚える。 イラクで三人が人質になった時と同じだ。 いや、あの時よりひょっとするとひどいかもしれない。 少なくてもあの時は、政府の中心にいる人はこんなことは言わなかったのではないか。 (ひょっとすると、彼だったら言っていたかもしれないけど…) この発言は安田さん解放の件ではないと思うが、多分この感覚は現在の安倍内閣の感覚であろう。 全部が自己責任だから、貧富も自己責任。格差が広がっても自己責任。 富裕層に属している我々が、富裕層を応援する政策をとっても構わない。 悔しいなら自分たちと同じ場所に立てばいいだけだろう。 昨日、自民党の谷垣禎一前幹事長が電動車いすで安倍首相と面会したニュースを見た。 多分これも彼らの論によれば自己責任だから、麻生氏たちの本音は「障害を持った人が政界を去るのは当然」ということだろう。 多分谷垣氏も、健康にサイクリングをしていた時はそう思っていたから、「『老兵は死なず、消えゆくのみ』というのが一番適切ではないか」と言ったのだろう。 でも私は思う。 健常者と障害者の両方の体験をした谷垣さんには、その複眼での政治的発言をしてほしい。 このような情けない自己責任論が跋扈する今こそ、彼のような人に政界復帰してほしい。 去らなくてはいけない老兵はゴロゴロいるように思う。 怒りにまかせて書いてしまったが、そんな中でダルビッシュのツイッターのニュースは嬉しかった。 彼が日本ハムファイターズで育ってメジャー行ったこともあり、まるで自分の息子のことのように誇らしくて嬉しい。 かれもまた、日本と世界のダブル複眼の持ち主だ。 このような若い人が増えてほしいと心から願う。 ダルビッシュ「自己責任論」にツイート約150回 3日間にわたりリプライ続ける メジャーリーグで「シカゴ・カブス」所属のダルビッシュ有選手(32)がツイッターで、ジャーナリストの安田純平氏を巡る「自己責任論」に対して、3日間にわたり反論し続けた。 事の発端は2018年10月25日の、「自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います」(25日22時27分)という投稿まで遡る。 「"渡航禁止の国に行っているんだから自己責任だ"という人が多いんです。それって戦場を取材するジャーナリストの存在を否定しているので言ってるまでです」(25日22時7分) 「調べてから言ってるんですよ。全部ひっくるめて一人の人が死ななかったことに安堵するというのは当たり前の話だと思いますが」(25日22時53分) 「もっと掘り下げるとそういう人によって善良な市民が多数助かっているってことですよ。表面的で誰にでもわかるような情報だけで判断しない方がいいと思いますよ」(26日1時26分) 「ルワンダのジェノサイドなんかも50万から100万人が亡くなってる。約100日と短期間すぎたのもあったけど、もっと他国が介入出来ていたら絶対こうなっていないはず。世界の国々もジャーナリストもこういった歴史から人間の弱さ、怖さを学んできたはずなんですよ」(26日1時34分) それからは少しペースを落とし、約4時間半かけて、ダルビッシュ選手は5件のリプライを返した。そして26日6時5分、ダルビッシュ選手はあるユーザーがツイートした「なぜジャーナリストは危険な場所に行くのか」と問う、4コマ漫画「地球防衛家のヒトビト」(朝日新聞連載)の画像に対して、 「本当にこれですよ。日本が戦争していてたくさんの人が殺されているなかで世界のどの国もが知らんぷりだったらどうするんだろう?って妻と話してました」(26日6時5分) 「危険な地域に行って拘束されたのなら自業自得だ!と言っている人たちにはルワンダで起きたことを勉強してみてください。誰も来ないとどうなるかということがよくわかります。映画だと『ルワンダの涙』が理解しやすいと思います。ただかなり過激な描写もあるので気をつけてください」(26日8時8分) 「何回も言いますが、ジャーナリストが現地に行かないとどうなるか歴史を振り返って勉強してください。3億の税金がー、とかそれによって命がーとかなんかより遥かに人を救っているのが事実」(27日0時15分) 「安全圏にいますがあなたと違って世界の実情をしろうという気持ちがありますし、その情報を命をかけて届けてくれる人たちに感謝しているだけですよ。こんな時間に匿名(さらに安全圏)で文句ばかり言ってる人の言葉に何の説得力があるかわかってますか?笑」(27日3時27分) あまりの投稿頻度の高さにユーザーからは「しょーもないレスバ(※編注:レスバトルの略。掲示板やツイッター上での討論を指すネット用語だが、「不毛」との含意が強い)は辞めてその時間練習してください」とのツッコミも。ダルビッシュ選手が、 「シーズン中でも暇な時間はたくさんありますよ笑」 「誰が24時間練習するんですか笑誰でも仕事以外の時間は何しようが自由ですよね。だいたい反省というのは自分で反省をし、次につながる努力をすればいいだけの話で」 自己責任と他人を非難する人たちは、自分が思いがけない苦境に立った時には誰にも助けを求めないのだろうか。 手を差し伸べた人の手を振り払い、「助はいりません」というのだろうか。 人は助け合わなくては生きていけない動物なのだ。 他の人を思いやり、助け合う気持ちや技術を持ったからこそ、鋭い爪や牙を持たない人類が発展してきたのだ。 弱い立場の人を支えるために色々な決まりを作り、集団となり、国も形成されてきたはずなのだ。 決して強いものだけが生き残るための国家ではなかったはずだ。 自分の行動に責任を持つのは当たり前のことだ。 心ならずも人に迷惑をかけたり、人に助けられたりした時にはきちんと謝り、心からの感謝をし、その感謝の気持ちを自分の行動で次にお返しをする。 私の考える自己責任は、そんなことだ。 自己弁護を繰り返したり、他者に責任転嫁をしたりすることは、自己責任を逃れる行為だ。 そんな人たちが自己責任と人を非難するなんて、腹が立つばかりだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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