この日は、午後から北海道文化塾で毛利衛さんの講演を聴くために札幌に出るので、
午前中で見ることのできる映画を探して、「箱男」を観てきた。
映画「箱男」は
安部公房の
小説「箱男」を映画化したものだ。
この小説は1973年に出版されているそうだから、もう半世紀も前のものであるが、私は読んではいない。
安倍公房の小説を読んだことがあるだろうかと検索してみたが、「砂の女」くらいしか読んでいない。
多分、映画を観てから小説を読んだと思うのだが、なんだかよく理解できず共感も出来ず、安倍公房に苦手意識を持ったままに今日に至っている。
さて、その映画であるが、やはりどう理解すべきか迷いながらも、とても現代的な問題をシュールに描いたものだということはわかった。
映画化に当たっては舞台装置は現代に置き換わってはいるが、これが50年も前に書いた原作をもとにしているということに驚く。
同じころに書かれた
小松左京の「日本沈没」の映画を観た時のような驚きがある。
小説家の感性と未来予測性には本当に驚くばかりだ。
映画のホームページには、次のように紹介されている。
小さな箱の中で王国を作り、守られた状態で世界を一方的に覗く姿は、不確実性の中で揺らぎながら、小さな端末スマホを手に持ち、匿名の存在としてSNSで一方的に他者を眼差し、時に攻撃さえもする現代の私たちと「無関係」と言えるだろうか…。
そして最も驚くのは、著書が発表された50年前に安部公房はすでに現代社会を予見していたということだ。
実に不可思議な気持ちになり、様々な思いや妄想に心が揺れ動き続けた時間だった。
できるだけ面白いものにしようという制作者の努力は認めるが、笑えそうで笑えない複雑な気持ちになってしまった。
でも、時にはこのような映画もとても刺激的で、脳の活性化には良いのかもしれない。