祖父の死
1月1日、元旦の朝に祖父が亡くなりました。大正9年7月生まれ。享年91歳の大往生でした。大正、昭和、平成の3時代、約1世紀近くを生きた祖父。最晩年はリウマチによる関節の変形で寝たきりとなり、身体が思うように動かないことをとても歯痒がっていました。昨年の12月、母から祖父に時折意識の混濁が見られるようになったことや怪我で病院を受診した際に医師から「怪我よりも、よほど全身状態の方が悪い」と言われたことなどを聞いていたので、もしかすると…とは思っていたけれどまさかこれほどすぐやって来るとは思いもしなかった。やはり、死は覚悟していても突然ですね。祖父は最後に皆に会っておきたかったのかもしれません。元旦だったので、子や孫の私たち姉妹、曾孫まで全員揃っていて最後を自宅で看取れたのだから。外に嫁いだ叔母も従兄弟(祖父にとっては孫)全員を連れて来て、お別れすることができました。祖父の人生の大きな転機となった太平洋戦争。小さい頃から何度となく戦地での様子を聞かされてきたけれどこうしてどんどん当時のことを知る人が少なくなっていくのだなぁ。祖父には沢山旅行にも連れて行ってもらって、まだ3・4歳の頃の旅行のことはほとんど断片的にしか覚えてないけれど、初めて飛行機に乗せてくれたのも祖父だったしディズニーランドも1番最初に行ったのは祖父母とだった。納棺の時、以前から祖父が一緒に棺に入れて欲しいと言っていた小さな箱を開けると(納棺師の方から、燃えないものが入っていないか検めるように言われたので)6年前に亡くなった祖母の遺髪や遺骨、数珠などの他に「家族と共に」と書かれた封筒が。封筒の中には祖父が撮影した私たちが小さな頃の日常の食卓風景だとか、祖母との旅行の写真、私が3歳の時に姫路城の前で祖父母と写っている写真(全然記憶にないけど)姉妹が登校・登園するところの写真、お正月に親戚が一堂に会した写真などなど色々出てきて。皆、泣きながら、でも懐かしく写真を見ました。いつ写真を整理していたのかなぁ。写真は祖父の枕元に一枚ずつ挟み込むようにして並べて。そう言えば、納棺の日の夜、娘が天井に向かって「バイバイ」と手を振っていたけどもしかしたら祖父がいたのかも。。。結婚も出産も遅かったけど、祖父に曾孫の顔を見せてあげることができて良かった。実家に帰った時はいつも、娘の手を握って嬉しそうだったもの。今まで本当にありがとう。