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テーマ:ニュース(100209)
カテゴリ:新田義貞あれこれ
新田義貞を祭神とする藤島神社には、義貞のものとされる国重文の兜(9月12日の日記参照)が保管されています。このほかにも義貞直筆といわれる古文書が残っていますが、この古文書は、専門家が調査に訪れるなど関係者の高い関心を集めているそうです。 現在の藤島神社は新田義貞戦没伝承地(福井市新田塚=8月28日の日記参照)から南西へ約5キロ、足羽山の中腹にあります。同神社によると、明治初年、後醍醐天皇への忠誠に対し神として祀る運動が起こり、明治9年(1876)、灯明寺畷(現福井市新田塚)付近に別格官幣社藤島神社が創建されました。その後水害に遭い、明治14年(1881)には隣村の牧の島へ。ここも水害が多いため、明治34年(1901)に足羽山の現在地に移りました。 同神社では、新田義貞が元弘3年(1333)5月、密かに朝廷の命を受けて鎌倉に攻め入り、遂に5月22日、執権北条高時の鎌倉幕府を滅ぼしたことから、この日を記念して毎年記念祭が行われています。また、新田義貞が戦死した閏7月2日が太陽暦の8月25日に当たることから、この日には例大祭が行われています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月16日 17時30分28秒
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