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1月13日から28日まで、日本一の日本水仙群生地、越前海岸の3市町(福井市、越前町、南越前町)で、恒例の「水仙まつり」が開催されます。 期間中には、福井市の越前水仙の里で「水仙まつりインこしの」、越前町のアクティブハウスで「水仙・カニフェア」、南越前町の北前船主の館・右近家で「荒波フェスタ」がそれぞれ開催されます。また、13日には越前町の越前岬水仙ランドで「写真コンテストモデル撮影会」も行われます。
福井県の花は「水仙」です 越前海岸一帯に咲く水仙(越前水仙)は、日本海から吹き付ける北風にじっと耐え、寒風に向かって可憐に、そしてたくましく花を咲かせますが、それが粘り強く頑張るという県民性をあらわしているとして福井県の花に指定されたようです。 越前海岸一帯、日本一の日本水仙群生地 越前水仙は、例年12~3月頃、旧越廼村(現在福井市)から越前町にかけての越前海岸でみることができますが、この地域は房総半島、淡路島と並んで日本水仙の三代群生地として知られ、日本一の群生地ともいわれています。旧越廼村(現在福井市)は福井市街地から西へ車で45分ぐらい。越前町はその隣にあります。 水仙の切り花、毎年200~300万本を京阪神へ出荷 毎年12月に入ると、越前水仙の切り花の収穫が始ります。主に京阪神に出荷される正月用の花です。出荷本数は年間200~300万本、全体の7割は正月用の花として出荷されています。越前水仙の主産地は越前町ですが、旧越廼村(現在福井市)の居倉地区が越前水仙の発祥地と伝えられています。 越前水仙の悲しい伝説 旧越廼村(現在福井市)の居倉地区には、平安時代末期の源平合戦を舞台にした悲しい伝説があります。居倉の住民が長男とともに源平合戦に出かけていた頃、留守を守っていた次男は、海岸で助け上げた美しい娘と親しくなっていましたが、まもなく帰ってきた長男がその娘を好きになってしまい、兄弟が争うようになったことから、それを見て苦しんだ娘が荒れ狂う海に身を投じたという。その翌年、どこからともなく美しい花が流れついたのですが、村人はその花を清楚で可憐な娘の化身と信じ、丘に植えていつくしんだと伝えられています。 室町時代には将軍に献上されたという越前水仙 越前水仙の起源については、平安時代に対馬暖流に乗って中国から流れついた、室町時代に遣唐使が持ち帰ったという説もあるようですが、京都祖国寺の公用日記「蔭涼軒日録」には、室町時代に、国府(越前市)の妙法寺から祖国寺経由で将軍家に毎年水仙が献上されたという記述があることから、既にその頃には福井県で水仙が栽培されていたと考えられているようです。 一年を通じて3千本の水仙が観賞できます ところで、旧越廼村(現在福井市)の越前水仙の里公園には、一年を通じて越前水仙を観賞できる施設「水仙ドーム」があります。水仙ドームは年間室温13度以下に保たれ、常時3千本の水仙が栽培、展示されています。 越前水仙のオーナーになりませんか 一方、越前町の梨子ヶ平地区では、2001年から越前水仙の棚田オーナー制に取り組んでおり、現在、県内外に70人近くの会員がいるそうです。
越前水仙 5~6分咲き 2008年01月07日
越前水仙の季節 2007年12月18日
花の波濤の越前岬 2007年01月04日
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