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カテゴリ:朝倉遺跡あれこれ
朝倉氏最後の当主、第5代義景は、永禄11年(1568)の春、足利義秋(義昭)を南陽寺に招き、爛漫と咲き誇る糸桜の下で歌会を催したと伝えられ、君が代の 時にあひあう 糸桜 いともかしこき けふのことの葉 という和歌を詠んでさすらいの義秋(義昭)を慰めたという。 同庭園は敷地の東南山裾に造られており、立石を中心とした石組は湯殿跡庭園に近いとも。一方では石の積み方が諏訪館跡庭園に酷似しているともいわれ、滝添石に挟まれた3段の滝石組など、全体として力強い石組に特徴があるようです。また、滝石組の付近が周辺の地面より高くなっており、水を引くのが難しいとみられることから、もともと庭池は枯池だったと考えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月22日 21時49分11秒
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