カテゴリ:死別
4月5日、今日は母の命日
母の法要は今日ではなく11日になった、 だから関西にいる妹にも今日は会えない、本当は、彼女と一緒に母を偲びたかった。 夫も仕事でいない、一人で過ごす母の命日。 どう過ごそうか考えた、 母の好きだった旅行でもするか、母の好きなデパートに行くか、母の好きだったことをしようかと、いろいろ考えた、 結局、どうするかは決めなかった、 その日にしたいことをすればいいと思った。 そして、今日。 今日は、私を癒す日にしよう。 この一年、 母を想うときは過去ばかり振り返ってた。 過去を振り返っては、「もしあのとき~ならば」「もしあのとき~していたら」 そんなことを思っては、自分を責めていた。 過去を振り返って後悔しても、何にもならないと頭ではわかっていても 母がいない寂しさと辛さで、後悔せずにはいられなかった。 母の死を否定したかった。 でも、今を生きていくには、 いつかは手放さなくてはいけない 過去は変えられない 手放さなくてはと思う自分 手放せなくて苦しむ自分 今の母を想う 私はずっとこの一年、過去の母ばかり想ってきた。 過去を否定することしかしてこなかった。 今の母を想う 今、母がいたらきっとこう言う 「身体に気をつけて、幸せになるんだよ」 どうして、私には今の母の声が届かないんだろう。 今の母に私も言う 「お母さん、そちらの世界で幸せに暮らしてね」 今の私の姿を母がみたらどんなに心配するだろう 本当に私は、あれだけ後悔した過去の自分と少しも変わらない 相変わらず、母の想いより、自分のことばかり考えてる。 ------------------------------------------------ 自分へ もういいんじゃない 過去を悔いるのはもういいんじゃない 悔いて自分を傷つけるのはもういいんじゃない 自分を大切にしてあげてもいいんじゃない あなたは、後悔ばかり、出来なかったことばかり見つけているけれど 愛もたくさんあったよね 思い出は愛、この言葉が分からないと言うよね 愛された記憶はないの? あるよね お母さん最期にこう言ったの忘れたの? 「ありがとうございました、 ようやく分かりました、お世話になりました」 そう言ったよね、 どんな思いで、お母さん言ったと思う? きっとこれだけは伝えなくてはいけないって、 一番伝えたいことを言ったんだよ 最期の言葉は「もっと生きたかった、辛い、苦しい」じゃなかったでしょ それなのに、どうしてあなたはお母さんに悪いって言い続けるの? お母さんの最期の言葉、どうして受け止めてあげれないの? 愛された記憶、他にもたくさんあるよね お母さん病気なのに、いつもあなたの健康のことばかり心配してたよね お母さん「母親というのは娘に何かしてあげるのが母親なのに、 娘にしてもらうなんて申し訳ない」って泣いたよね。 お母さん、熱が40度あってもあなたに「気をつけて帰るんだよ、身体に気をつけるんだよ」 そう言ったよね。忘れちゃった? どんな状態になっても、母は子を想い続けるとあなた言ったよね 本当にお母さんは最期の最期まで、あなたを愛し続けてくれたんだよね それでも思い出は「愛」だと思わないの? 辛いだけなの? 愛は消えちゃったの? 思い出して泣くことは、それは「愛」だと感じてるからだよね お母さんは別の世界にいってしまったけれど 思い出はきちんとあなたの記憶の中に残っているよね お母さんが残してくれた「愛」は あなたの中にいつまでも生き続けているんだよね その愛はどうなの? 後悔の気持ちが涙になるんじゃないよね 愛された記憶が涙になるんだよね 辛いよね、苦しいよね 涙たくさん出るよね 愛された分だけ、涙出るよね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 5, 2010 05:22:59 PM
コメント(0) | コメントを書く
[死別] カテゴリの最新記事
|