カテゴリ:死別
さんざん母の命日に泣いたからだろうか
もう自分を責めないと強く心に決めたせいだろうか 母のことで自分を責めなくなった、 母がいないこともあいまいで、 まるで前世の記憶のように感じることもある。 自分で自分を苦しめることはしない方がいい この前も、医療実習のボランティアで大学病院に行ったとき 駐車場に車を止めたら、心がぎゅっと苦しくなった。 どうしてだろうって病院を眺めたら、ここに母が検査入院してたことを思い出した。 意識では忘れてはいても、身体は忘れていない 水分を含んだような苦しい想いがそれを私に気づかせる。 水分はそのまま浮上して、涙が出そうになる。 でもまっすぐ意識にあがってくることは少なくなった。 定着した 私の中に、否定せず母の居場所を作れた のかもしれない。 自分の中で、それをそっと見つめることが出来るようになったのかもしれない。 でも時々、現実はその記憶を生々しく呼び起こす。 今日も用紙を記入していて、母の欄に「死亡」と書くのが辛かった 手が止まった・・死亡と書きたくなかった。 母の元気な頃の笑顔が目の前に現れて どうしてお母さんが死ななくてはならなかったんだろうって、やっぱり思ってしまう。 そういうとき、心の奥にある母の居場所から何かが浮上する 浮上して、涙が出てくる。 でも、それでいいんだとおもう。 それでいいんだと だって、悲しいのは、悲しいのだから、 私はお母さんがいなくて寂しい、 でもそれだけ 自分を母のことで責めなくなった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 12, 2010 06:53:39 PM
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