カテゴリ:死
めちゃくちゃ感情的で、自己中心的で、傲慢で、執着心の塊のような私。
他人のことより、自分のことばかり考えてる。 ここ2年ぐらいは、感情の波に揉まれまくってる。 母が亡くなった年は、買いだめが出来なくなった。 「こんなに買っても、そのとき自分がまだこの世にいるなんて分からない」 ただ、物だけが残されることを考えると、それが悲しくて買えなかった。 いつか使う日のために遺された新品同様の母の遺品を眺めるのは辛かった。 一年先なんて考えられなかった。 もし自分の命が残り少ないと分かったら 以前は、世界を巡りたい、と考えてた。 でも、今しないことを、残りの命が少ないからすることはない気がする。 きっと、こうした延長の日常で死は訪れるのだと、 母のことを思い出しながら、そう思う。 澄み切った秋空を眺めながら、穏やかな見慣れた風景を眺めながら、そう思う。 死を目前にして慌てて何かを探すのではなく、今目の前にあるのが自分の全てだ 自分の人生の全てだったのだと、それこそが自分に与えられた最高の場面なのだ。 そう思いながら、目の前の最高の場面を見つめて死を迎えたい。 すごく辛いと思ったり、めちゃくちゃ自分の感情に翻弄されてるけど ふと、それが生きることだと、まるで自分を遠くから見つめているように思うことがある。 だから、すごく悲しむことも、怒ることも、苦しむことも、いいんじゃないかと 実はずっと思ってた。 でも、ここ数年、実際、めちゃくちゃ苦しんで、怒ってたら、 自分の心と身体がすごく可哀想になってきた。 自分の心と身体の悲鳴が聞こえてきた。 だから、出来れば、極力、怒ることと、苦しめることは止めたい。 悟った人、のようになることに憧れがないわけでもないけれど 感情に翻弄されるのは人間ならでは、で、やっぱりいいんじゃないかと思う自分がいる。 そのためにこの世に生まれてきたんじゃないかと、思う自分がいる。 そう思うとき、自分はどこからそう思っているんだろうと その立ち位置を振り返る。 そう思えるときの自分は遥か遠く高い場所にいる。 そこはどこなんだろう 多分、そこが私が還る場所。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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