カテゴリ:死別
母が亡くなった4月が来る。
母が亡くなったとき、桜が満開で、火葬場に向かう時 堤防沿いに満開に咲いている桜の木々を見つめながら 「母が亡くなったのが、こんな桜が満開のときでよかった・・」 なんて、思ったのを覚えてる。 ピンク色でいっぱいの風景が、母に似つかわしいと思ったから 私の気持ちも桜に慰められたから・・ でも 次の年からは、春が、桜が苦手になってしまった 嫌でも、母が亡くなったころを思い出す。 母が亡くなった翌年の命日は泣く と思った、そう思ったから、母が亡くなった時刻近くになると 夫にしばらく寝室に籠るから、と言い ティッシュ箱を抱えて寝室に籠った。 寝室の壁に寄りかかりながら、思いっきり泣こうと思い 思いっきり泣いた、ティッシュの固まりが何個も出来た。 母が亡くなった時刻が過ぎてから、妹に電話した どんな風に過ごしているのかと思って そしたら、明るい声で 「えっ、普通にしてたよ」と言われ 後ろからはテレビの声が聞こえてた。 姉妹でもずいぶん、違うんだな・・と思った と同時に、妹の明るい声にも救われた。 私の元に多量にあるこの悲しみは、 妹の元にはないんだということが、なぜか私の心を明るくさせた。 それ以降、寝室に籠ることはなくなった でも、それでも、 4月は苦手、桜は苦手 今では、意識して、思い出さないようにしている。 思い出しそうになると、さらっとかわすようにしてる。 一度、母の命日を思い出せなくて、さすがにその時は 驚いたけれど、それはそれでいいんだと思う。 だって、それでなくても、思い出す 思い出すというのは正確な表現じゃない、 わざわざ引っ張り出さなくても、自然に私の中にある記憶の一部 毎日、毎日、忘れることのない、記憶の一部。 母のことを忘れた日は一日だってない。 なので、母の命日あたりの記憶ぐらい忘れてしまってもいいんじゃない 自分が辛いと思っている 母の最期のときの記憶ぐらい、ちょっと忘れさせてもらってもいいんじゃない 本音を言えば、母の命日を思い出したくないなんて 罪悪感が沸く、母に申し訳ないって そして、本当に忘れてしまっていたら、それはそれで そんな自分を寂しいと思うだろう でも、やっぱりそれでもいいかな それでもいい。 もう自分を憐れむのはやめようと、決めたから。 もし、本当に忘れてしまう時がきたら そのときは、母の命日を静かに、振り返る日が来た ということのような気がする。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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