カテゴリ:死別
午前中、母の写真とお骨の前でお経をあげた、
私が好きなお経、般若心経。 お盆にあげるのかどうか知らない、 お経をあげて、母の写真をじっと見つめる。 頭が真っ白、何も言葉が浮かんでこない。 霊がいると思ってる人なら、ここで 「お母さん、元気?」と話しかけるだろうが、 私は、亡くなった霊がそばにいると思ってないので 何もかける言葉がない・・・・ 写真の母を見つめていて、頭に浮かんでくるのは 生きているときの母との思い出、 そんなことを頭から引きずり出していると、 母が恋しくてたまらなくなり、 辛くなって泣いてしまうので、止める。 意識を現在に戻さないと・・・泣く。 で、ふと思った、 霊がそばにいるって、思うことは良いことだ。 生きてる人の救いになる。 過去を振り返るのは辛いけど、今もそばにいると思うことで 癒される、救われる。 宗教は、亡くなった人のためでなく、生きてる人のためにある 現在の日本のお坊さんの役割は、主に葬式を連想させ、亡くなった人のため のように思えるけど、本来は、亡くなった人を偲び、嘆き苦しむ人のために 生きて行く道を導くことじゃないだろうか。 そういう意味では、 「あなたのお母さんはいつもあなたのそばに、今もいるんですよ」 と言ってもらえたら、どんなに救いになるだろう。 そう思えないけど、そう思えるようになれるといいな と思った。 お母さんの霊なら会いたいよ、話したいよ。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 15, 2020 01:01:34 PM
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