それでは恋愛について
昨日、変なブログを書いたおかげで流れが変わってしまった。ふみをのダメ日常も飽きていることだろうから、大げさに書いて哲学的な内容にしてみようか。まずはタイトルから始めよう。恋愛とはなんぞや?であるねえ。まずは言葉の意味を探ってみようと思う。もちろん漢字の意味なんかどうでもいいのだ。それはつまり辞書的な意味ということだ。もちろん辞書は間違えてはいないだろうけれど、必ずしも一人一人の人にとって完全なる正解ではないと思うんだね。ここからはふみをが勝手に語るのである。まずは恋。これは自分から相手への一方通行の想いだと思う。例え相手も自分の事を想っていようと、それを自分が知らなければ恋となる。趣味の世界で使用される”◯◯愛”という言葉は嘘であると考える。相手が特に物の場合、それは”◯◯恋”と表現されるべきだ。ただこれが人間相手だと少し様相が異なる。現存する人物の場合は”◯◯愛”は通用する気がする。特にアイドルや俳優やミュージシャンなど、お客さん相手に商売している人物が対象の場合は、大勢を相手に想いを伝えていると考えても悪くないのだ。そこには相互理解がある気がする。ただし、歴史上の人物の場合は相手の想いを受け手が感じることが出来ないので、そこは恋となる。つまり徳川家康恋となりAKB48愛となる。次は愛。ここまで書けば解ると思うけれど、”愛”はお互いに想いを認識した時に発生すると考える。つまり単純に付き合っている男女などは”愛している”、という言葉を使えるわけだ。だけれどガンダムに対してはあくまでも恋である。もちろん福山雅治に対しては愛でいいのである。そうなると一般的に使われる日本語に対して矛盾を感じてくる。恋人と書くと付き合っている男女となるのが一般的だが、ふみをが書く愛を現実に当てはめると”愛人”が正解となる。愛人と書くと思い浮かぶのは不倫や2号さんだったりする。ふみをはこの感覚に断固反対したいのである。お互いに好き同士ならば”愛人”と相手を呼んでもいいのだよ。”愛している人”の略なのだから。どうだい、期待した内容とまったく違う内容だろうよ。ふみをが書くんだから仕方ないとあきらめてくれ。追伸:カテゴリが、久々過ぎる!!これでいいのかな?これでいいのだ。前の文章は恐くて見れませんなあ。