僕の中では有名な話(1)
子供の頃の話だ。小学校低学年、それもだぶん小学2年生じゃあなかったかと思う。今までそんなにちゃんと思い出したことなかったけど、ここに書くにあたってちゃんと思い出し推理しないといけないと考えた。日曜日は決まって、通っていた町田第四小学校の校庭で、所属していたサッカークラブ「森野」が練習試合をしていた。普段なら自分のサッカーボールを専用網に入れて、そいつを蹴り上げながらテクテクと約20分掛けて歩いていくところだけど、その日は集合時間に遅刻しそうになってしまい、父親がこぐ自転車の荷台に乗せられて急いで校庭に向っていた。町田市は当時、清水などと肩を並べるようなサッカーが盛んな土地だった。今ではJリーグチームがない町田のサッカーは廃れた感が漂っているけど、当時の少年サッカーの熱気は凄かった。何チーム編成かは忘れてしまったけど、小学生のクラブチームだけで3部リーグまであって、毎年入換戦があって盛り上がっていた。僕が所属していた「森野」は、万年1部と2部を行き来するエレベーターチームで、1部ならいつもビリ争いだったけど、2部ならば毎回優勝争いをしていた。Jリーグのチームに例えるならば、京都パープルサンガやアビスパ福岡あたりに相当すると思われるが、サッカーファンでないと解かり難い例えで申し訳ない。町田第四小学校までの道のりの途中にはちょっとした坂がある。今の僕ならば何ともない坂だけど、小学生には大きな関門だ。その坂の途中はちょっとしたカーヴになっていて、カーヴ終わりから頂上までの左隣は畑となっている。畑と道路の間には桑が植えられていて、僕的には勝手にその場所を桑畑と呼んで親しんでいた。その道は通学路から一本外れた道で、登下校には使ってはいけない道だったけど、暑い季節になるとその桑畑が僕を呼ぶのだ。桑畑にいるもの、それはカミキリムシ。それもゴマダラカミキリという点々が鮮やかなカミキリが生息していて、そいつを採って遊ぶのが好きだった。ゴマダラカミキリ僕の父親はその坂道を全速力でこいでいた。集合時間に間に合わせるという使命感に駆られた過ぎていたように思える父親は、荷台に座っている僕の存在をほんの少し忘れてしまったようだった。坂の途中のカーヴに差し掛かった瞬間、遠心力に耐え切れなくなった僕は桑畑に放り出された。桑畑と道路には段差があって、50cmから1mぐらいは凹んだ所の畑に転がる僕。しかし父親はまったく気がつかずに頂上まで上がってやっと気がついたらしかった。結局のところ、奇跡的に怪我一つなく生還した僕。桑の木の間を抜けて本当の畑に転がったのが良かったのだ。土って凄い。放り出された先がアスファルトや家の壁だったら…と考えると今でも寒気がする。その日は上級生が試合をする隣でボールを蹴っていたと記憶している。それが今回の僕の中では有名な話だ。