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傷といっても、昨日の怪我ではない。
心の傷。 私はパパと結婚して18年目だが、パパのほうの家族となじめないまま、今は決別している。 義祖父母、義母、いくつも年上の義弟、義妹、親戚・・・ パパが跡取だから、結婚して同居しなかったということが、向こうの家の恥だったのかもしれない。 行けばいつも 「同居をするのが当たり前なんだから早く帰って来い」 「孫たちはここの幼稚園・学校に行くこと」 「机を買ってあげるから帰ってきて住みなさい」 「息子(パパ)が転勤になったのは、あんたと結婚したせい」 「私たちの面倒は見てもらわなきゃ」 ・・・みんなで私に言った。パパのいないところで。 いてもパパには家族の言うことは悪気がないというが。 パパにも不信感、義家族には嫌悪感しかなかった。 何年たっても、私はなじむことが出来なかった。 足は遠のく。 行かなかったら行かないで何かいわれるけど、行っても言われるんだし、行かない方がましだった。 義母が亡くなったことで、私は何かが吹っ切れた気がした。 嫁姑としての関係は薄かったけど、子供たちをかわいがってくれた。 義母の言葉で苦しんだこともあったけど、亡くなったら苦しい気持ちは薄れてきた。 私は、義妹がこの世で一番嫌いだということに去年気がついた。 今まで18年近く鬱鬱した気持ちを常に持ったまま暮らしてきたのも、パパのほうの家族との関係が大きく原因していた。今まで何をしていても気が晴れることがなかった。 先生は言った。 「18年も積み重なってきたというのはつらいことです。本当の自分を取り戻すことを目標に、少しずつ解消していきましょうか」 でも、あまりに長くて、何から紐解いたらいいのかわからない。 「嫌なことを嫌と思い、口にするのもいいかもしれません」 という、先生の言葉がなんだかしみた。 「重圧で苦しんでいる」 「私を否定されてつらい」 「パパは何もわかってくれない」 そう思いながら、その気持ちを蓋して、取り繕ってきたのだ。 「パパの家族と会うだけでも体中の血の気がひいて息苦しくなって、体が震えて、このまま倒れそうになる」 「つきあえない」 って、言えていたら私の心の傷はこんなにこじれることはなかったかもしれない。 通院して半年経った頃、パパに、 「義妹と付き合うことは出来ない。顔も見ることが出来ない。声も聞きたくない」 と、宣言した。 パパは、 「信じられない。あいつは悪いやつではない」 と答えた。 ・・・・今はここで書けないが、いろいろ壮絶な出来事と、やり取りがあった。 パパに、私をわかってもらうには先生から話をしてもらうのもいいかもしれないと思った。 私は、通院日、パパも連れて行って、先生から説明してもらった。 「だんな様にとっては受け入れたくないかもしれませんが、話を聞く限り何年も前からずっと、軽い鬱状態にはなっていたはずです。義妹さんとの関係が、奥様が今回うつ病を発症したきっかけになっていることは間違いありませんが。」 「薬と通院で治りますか?」 「・・・内科的なものではありませんから、薬で治るというものではありません」 「ずっとこのままなんですか?」 「・・・しばらく通院してもらいます。パニック発作もあるようですから薬も飲むことにはなりますが。」 その後、またいろいろあって不眠症も出てきた。 冬はずっと、苦しいときと、少し回復した時と、もっと苦しい時の繰り返しだった。 今は落ち着いている。 もしかしたらまた、いろんなことをためてしまっているときなのかもしれないけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月05日 09時27分33秒
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