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MoMo太郎日記

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2022年04月24日
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カテゴリ:旅の重さ
来宮神社から熱海駅に向かって歩いていくと、また熱海七湯がありました。

野中の湯(→→→こちら)というそうです。
このあたりに野中山というのがあり、その麓の野中(現在の藤森稲荷辺り)一帯では、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。しかし、湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯桝を設けなかったというそうです。

熱海にありながら「大江戸温泉物語」(→→→​こちら​)グループの「熱海温泉あたみ」というホテルの前に変わった石碑があります
しかし、大江戸温泉物語グループ、全国にホテル経営しているんですね。

豆相人車鉄道熱海駅舎跡とありました。
昔の東海道線は箱根の山を避けて通っていたので、熱海に鉄道は来ていなかったことから、お客さんがこないことに困った熱海の旅館の旦那衆達が協力して、鉄道を作ろう!!となったがお金がない!!
「だったら機関車でなく、人が押して動かせば安上がりじゃないの?」
というノリで「豆相人車鉄道」なるものを作ったんでしょうか。
それにしても、当時の駅舎の面影がないのが残念なような。

碑文には以下のように記されていました。
「豆相人車鉄道」は雨宮敬次郎氏と、地元の有志20余名の努力によって、明治29年(1896)3月、熱海-小田原間(25km)全線が開通した。 所要時間は4時間ほどであった。 この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すという、きわめて原始的なものであった。 明治29年当時の運賃は熱海から小田原まで、下等40銭、中等80銭、上等1円、3歳未満は無料、10歳未満は半額というものであった。
 「豆相人車鉄道」は日本最初のもので、明治40年(1907)12月、軽便鉄道にかわるまでの12年間、貴重な交通として利用された。


熱海駅に通じる平和通り商店街です。

昼過ぎになると熱海の街に沢山の人がやって来ますね。

ふと気がついた「五月みどりの店 ヴィーナス熱海店」。
五月みどり(→→→こちら)という芸能人の看板でお客さんを呼んでいるのかもしれませんが、「五月(ゴガツ)みどりごって誰?」っていう若い人には興味ないかもしれませんね。

熱海駅から豆相人車鉄道ではなくJRに乗って帰ります。


(熱海タイムトラベル散歩のコースです)

【了】


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熱海を歩く(その15) 豆相人車鉄道熱海駅舎跡





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最終更新日  2022年04月24日 13時14分08秒
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