カテゴリ:旅の重さ
万葉公園というのは、湯河原温泉の中心地である「温泉場」地区に所在し、千歳川と藤木川が合流する落合橋の西方、千歳川沿いに上がっていく約2万m²(2ha)の横長の敷地に造成されている緑地公園です。
入場料は無料なのがうれしいです。 この川が千歳川になります。 そして、所々にこういう滝があって、水音に癒されます。(よく滝の近くにいくと「マイナスイオンが疲労回復・精神安定を始めとする様々な健康増進効果をもたらす」とかいうのですが、ほんとうなんですかね?)。 この建物は太子堂です。奈良法隆寺の夢殿に似ていますね。 太子堂は、1960年(昭和35年)に建築組合員一堂が聖徳太子の偉業を敬慕し建立しもので、この「太子堂建造の由来」の石碑は、「真実一路」、「路傍の石」などを書いた小説家の山本有三氏による撰文だったそうです。 こちらは養生園石碑です。 ここで、日露戦争で日本海海戦でロシアのバルティック艦隊を破った東郷平八郎が、日露戦争後ここで温泉療養し、養生園を作った大倉孫兵衛に送った感謝文を石碑にしたそうです。 この鳥居の先は、熊野(権現)神社 です。 こちらが熊野(権現)神社の拝殿です。 拝殿にかかる社額です。 こちらの手水、温泉の街、湯河原らしくお湯でした、したがって手湯ですね。 この熊野神社、創建年代不詳ですが、古来より温泉の神様とされた紀伊の熊野本宮から勧請され、寛文12年(1672)の宮上村明細帳には「湯権現」と記されていたそうですね。 中世の時代、この土地は武士や村人の湯治場として利用されていて、河原から自然湧出する温泉の共同湯坪を「村湯」「惣湯」と呼び、地域の共同湯として大切に管理していたそうなので、温泉の神様、熊野神社も勧請されたのでしょうね。 稲荷神社かと思うような赤い鳥居が並んで神社がありました。 でも祀られているのはキツネではなく、タヌキのようです。 狸福(りふく)神社というそうで、 傷ついた老狸が湯河原温泉で完治し、感謝を近隣の人々に伝えたという故事に因み建立されました。 なんかわかりにくい石碑ですが、左側が俳人の金尾梅の門かなお うめのかど)(→→→こちら)の 「声かけて ほしい椿の 蒼蕾」という歌が刻まれたもので、右が「散歩随意の碑」だそうです。 ここは実業家・大倉孫兵衛(大倉陶園・創業者)の湯治用別荘地だったのが、日露戦争後には戦傷病者の保護養地として指定され「養生園」として開放さし、庭園を開放して自由に散歩させたれたということですね。 板壁に囲まれた施設がありました。 この椅子に座って、外のことも余り気にせず、のんびりできそうですね。 公園の奥部(西側)にあるこちらの石碑は、国木田独歩の碑です。 「湯ヶ原の渓谷に向かった時はさながら雲深く分け入る思があった」と記されています。 晩年の数年間、肺結核のため保養に訪れた独歩はここで三つの短編小説を完成させたそうです。 さらに奥に進むと、総湯テラスという日帰り温泉施設がありました。 お食事ありの利用料金が5,500円、お食事なしで2,600円でした。MoMo太郎にとっては気軽には利用できないです。 (湯河原文豪のコースです) 【つづく】 人気ブログランキング 文豪気取りで湯河原散歩 (その7) 万葉公園を散策 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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