テーマ:歩いて愉しむ東京(899)
カテゴリ:気になる風景
文豪として知られ陸軍の軍医総監も務めて、脚気は「脚気菌」による細菌感染症であるとする説にこだわっていた(→→→こちら)森鴎外(本名:林太郎)は、一時期、この北千住に住んでいたそうです。
大正通り探索のついでに森鴎外が住んでいた、橘井堂医院(きっせいどういいん)の場所を訪れてみました。 北千住にある旧日光街道に沿った千住本町商店街の千住ザ・タワー付近の交差点を線路にむかって左折すると、 橘井堂医院跡にある記念碑がありました。 「森鷗外旧居 橘井堂森医院跡」の石柱があり、 「千住の鴎外碑の碑文」には、小説「カズイスチカ」の一説が引用されていました。 森鴎外と北千住の関係について説明が書かれていました。 3枚の説明板があったのですが、重なって全文が見えません。またそれぞれの板は固定されていて全文を読むことはなかなか苦労します。 とりあえず、一番上の説明板の内容を引用します。 明治12(1879)年に父静男が南足立郡医となり千住に転居して、後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業しました。この頃、林太郎は東大在学中で下宿先にいましたが、大学を卒業した明治14(1881)年には下宿を引き払って千住に住み、医師として父とともに医療活動に従事しました。この頃の様子は小説『カズイスチカ』に描写されています。 ちなみに、白鬚橋付近にあった「鴎(かもめ)の渡し」は吉原を指す名称でもあったそうで。遊興の地には近寄らず、遠く離れて千住に在るという意味も込められているのでしょうか。 註1) 鴎の字は、「メ」ではなく「品」ですが環境依存文字であるため「鴎」を使用しています。 註2) 説明板の白髭橋の表記は間違いで、正しくは白鬚橋です 【つづく】 人気ブログランキング 「大正通り」を探そう(その4) 北千住と森鴎外 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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