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MoMo太郎日記

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2024年05月24日
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カテゴリ:大人の遠足
2024年4月7日(日)新宿発の特別快速ホリデー快速おくたま3号に乗って、

JR青梅線の羽村駅までやって来ました。

こちらは羽村駅の西口です。JR東日本が開催する「駅からハイキング」のイベントに参加するため、初めて、羽村市を訪れました。

その西口から少し西に向かって歩き、羽村市観光案内所で、駅からハイキング「春爛漫のはむら~関東最大級のチューリップ畑を訪ねて~」のコース地図ももらつて出発です。

今では住宅街の中の狭い道ですが、

実は歴史的な道で、鎌倉街道(→→→​こちら​)という道だったそうです。

鎌倉街道は、鎌倉と各地とを結ぶ道路の総称。特に鎌倉時代に鎌倉政庁が置かれた鎌倉と各地とを結んでいた古道を指すそうで、多摩地区の鎌倉街道は青梅市新町から羽村駅西側を通り、羽村東小学校を経て遠江坂を下り。多摩川を渡っていたと考えられています。

こちらの道は旧青梅街道になるそうです。

新宿から青梅に向かう、青梅街道は、瑞穂町から青梅市に入り、羽村市は通っていません。
しかし、かっては福生から、羽村小作台に向かう、青梅街道があったんですね。

旧青梅街道と旧鎌倉街道の交差点にあった石碑と説明板です。

石碑に刻まれた文字は、薄くなってよく読めませんでしたが、


この説明板によると
青梅街道の井戸
明治18(1885)年島田善助翁の努力によって彫られた井戸がありました。
そのころは、青梅街道や新田街道の辻󠄀で付近は畑ばかりでした。道を行き来する人々や畑で働く人たちの飲み水のために、この井戸は大変役立っていたのです。
明治27(1953)年、青梅鉄道が開通し、近くの羽村駅7付近にも人家が建ち始めました。井戸は西多摩村(現羽村市)に寄付され、この付近の発展に大きな貢献をしたことから昭和28(1953)年、善助翁の不滅の善行を永く記念する碑が建てられました。
平成31年3月 羽村市教育委員会
​とありました。ということはつい最近まで、この井戸と石碑は余り人に顧みられることもなかったんですかね。



(春の羽村散歩のコース)
【つづく】

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春の羽村散歩(その1) 鎌倉街道を歩く





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最終更新日  2024年05月24日 05時08分34秒
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