横武クリーク公園(その2) 万右衛門車
そして、横武クリーク公園の一角には「くど造り」と呼ばれる家屋を復元した「葦辺の館」(アシベノヤカタ)が建っています。 「くど造り」は九州を代表する民家の構造で上から見た形が「かまど」、別名で「くど」に似ていることから名付けられているそうです。係の人の話では、クリーク公園を造るために、この建物を移設してきたとか。中も見学できますが、なかなかシブイ作りの農家の住宅という感じでした。農家にとって必須なのは、農機具小屋ですね。この小屋の中にあったのは、大正12年ごろまでもちいられた。「万右衛門車」という水路から水をくみ上げる水車です。この水車、猪口万右衛門 (いのくち-まんえもん)という人が発明したそうです、この方は、「江戸後期,久留米藩領筑後国三瀦郡中村(福岡県三瀦郡大木町)の農民。灌漑用具「万右衛門車」の発明者といわれる。庄屋猪口又兵衛の次男に生まれ,19歳のとき,同村の大工猪口勘助の養子となり家業を継ぐ。農民であった経験から,大工の技術を農具作りに生かし,商人から聞いた淀川の踏み車の話にヒントを得て安永6(1777)年,高能率の足踏み水車「万右衛門車」を発明したという。これは従来の「打桶」による水汲みよりも効率を数倍高めたので,またたく間に普及した。なお足踏み水車の発明については,宝暦3(1753)年,柳川藩中老四ケ所通久によるという説もある。<参考文献>『久留米市史』2巻,『江戸時代人づくり風土記・福岡』 」こんな感じで水をくみ上げるそうです。【了】人気ブログランキングへ横武クリーク公園(その2) 万右衛門車