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2018年12月16日
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カテゴリ:九州の話題
今年のNHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』が、
今日の放送で最終回を迎えました。

西南戦争で政府軍と激しい戦いを行い、延岡まで逃げた西郷隆盛は、
戦いの中で右足を失った息子・菊次郎ら負傷者を残し、
険しい山中を進んでようやく鹿児島の城山まで戻ってきました。

こうして1877年(明治10年)9月1日に城山決戦が始まりましたが、
政府軍の攻撃に西郷軍は次第に追い詰められていきました。
23日に政府軍は西郷軍に降伏を迫る書簡を送りましたが、
西郷はそれに応じることはありませんでした。

そして翌24日午前4時、政府軍の総攻撃が始まりました。
残っていた西郷軍も次々と倒れて行く中で、
ついに・・・西郷隆盛もその生涯を終えました。
そして日本最後の内戦となった西南戦争も終結しました。


このことは全国各地に知れ渡り、かつて西郷隆盛と時代を作った、
島津久光、徳川慶喜、勝海舟らもその死を悼みました。
慶喜が「俺みたいに逃げればよかったのに。」
と言っていましたが、
明治維新や戊辰戦争で多くの血が流れたことや、
士族の一部が新しい時代について行けなかったとを考えると、
自分が責任を取らなければいけないと思ったのでしょう。
まさに武士の世の中を自分で終わらせたと言えます。

この頃、火星が地球に大接近しており、
地球からはひときわ大きく輝く赤い星が見えましたが、
人々はこの星を『西郷星』と呼び、その死を悼みました。
余談ですがこの時火星とともに最接近していた土星を、
西郷隆盛に従い、一緒に最後まで戦い抜いた桐野利秋(中村半次郎)になぞらえて
『桐野星』と呼んだそうです。

しかし西郷の妻である糸はこのことをあまり快く思ってはおらず、
「(西郷は)人に見上げられたり
拝まれたりして喜ぶ人では無い。
低いところで弱い者に寄り添って、
あちこち走り回る人だった。」
と語っていました。

そして翌年5月14日、政府軍の総攻撃を指示した大久保利通が、
紀尾井坂付近で不平士族の襲撃を受け、命を落としました。(紀尾井坂の変)
大久保は東京の青山霊園に埋葬されていますが、
西南戦争の件で地元・鹿児島から冷やかな目で見られたこともあり、
とうとう故郷の地を踏むことはありませんでした。

これで今年の大河ドラマは終わりました。
出演者の皆様、本当にお疲れ様でした。
歴代の大河ドラマに劣らない、素晴らしいキャスト陣でした。
しかし脚本と演出は揃って無能であると言えます。
何で最終回で西郷が切腹し、別府晋介に介錯されるという
シーンを描かなかったのでしょうか?
大河ドラマというものは史実に忠実であればある程
評価が高いものであり、個人の妄想で作ったものは
もはや大河ドラマでは無く、ただのファンタジーにすぎません。
史実に忠実な大河ドラマを作らず、
西郷切腹シーンを流さなかったク○脚本家とク○演出共は
西郷に代わって切腹すべきだと思います。


それでは、今日はここらでよかろうかい。



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最終更新日  2018年12月16日 21時34分02秒


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