カテゴリ:歴史/考古学/毛人
南蛇井増光寺遺跡C区の住居の内、調査報告書で4期(いわゆる樽式4期の時期に収まると思われる)とされる住居[1]の土器を検討し分類した。
分類結果 「南蛇井増光寺エリアC区の土器」 南蛇井増光寺遺跡については既に鏃関連の記事や古墳前期土器編年試行で取り上げた。 鏑川流域(南蛇井増光寺エリア)の鏃分析 遺跡内の調査区区画、調査報告書の内容 鏑川上中流域弥生末期~古墳前期土器編年見直し試行ー甕の分類1(南蛇井増光寺C区) 類型集計結果 左側に頸部輪積み無し、右側に頸部輪積みのものと外来系のものを示した。圧倒的に頸部輪積み無しで櫛描施文のA1Ra類型が多く、次いで頸部輪積みで櫛描施文のB1Raが多い。おそらく外来系のA'3以下が1/10程度存在するほか、頸部がなだらかに湾曲する科野系(先頭A5)が僅かに含まれる。 次に、南蛇井増光寺遺跡C区4期の甕を形質毎に集計した。上丹生屋敷山遺跡の甕の形質と比較しながら見ていく。 上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―甕 上丹生屋敷山(丹生エリア)古墳前期土器編年―環濠外段階時期細分 在来系甕の施文を上丹生屋敷山と比較する。上丹生屋敷山の環濠内段階では樽系(櫛描)61%、吉ヶ谷系(縄文)10%。環濠外段階では樽系16%、吉ヶ谷系61%となっていた。南蛇井増光寺では、樽系65%、吉ヶ谷系16%となっている。 上丹生屋敷山の環濠外段階の住居のほとんどからS字甕または器台が検出されているが、南蛇井増光寺C区ではS字甕は324号住居で口縁部破片が1点(弱い面取りが残るのでB類的)検出されたものの例外的であり、器台も少数にとどまっている。こうした点から考えると南蛇井増光寺は上丹生屋敷山の環濠内段階の様相に近い。また、樽系と吉ヶ谷系の比率も環濠内段階と対応している。 頸部輪積みの甕は2割となっている。上丹生屋敷山では環濠内/外のどちらの段階でも4割であったので随分低い。輪積みの影響が吉ヶ谷式を初めとする東側から及んだことによる位置的なものか。 頸部の形態は、広がり気味の樽頸部が70%を占める。上丹生屋敷山の環濠内段階では樽頸部が86%、環濠外段階では68%となっている。頸部括れが弱い吉ヶ谷頸部は上丹生屋敷山ではほとんど見られなかったが、南蛇井増光寺では8%と少ないものの一定の存在を示している。 くの字状頸部は樽頸部とする方針だったが、今回の検討ではぶれて短頸部に入れてしまった。後で見直したい。 全体的には、上丹生屋敷山の環濠内段階と環濠外段階の中間的な様相に見える。上丹生屋敷山の環濠外段階の在来系住居では櫛描文はごく少なく殆ど縄文施文であることを考えると、南蛇井増光寺はそれよりも早い段階かもしれない。北陸系(むしろ科野経由の北陸影響)や南関東系の影響が一部住居に見られることはより遅い時期を示唆しているのか、住居数が多いために北陸または科野からの移住者の住居がたまたま含まれているだけなのかは後で土器自体を比較して検討したい。 南蛇井増光寺遺跡の3期以降の土器を見ていると、樽、科野、吉ヶ谷など近隣の土器形式が融合しつつあるように見える。以下の甕はその一例。 C227号住居 甕9 頸部付け根には簾状文ではなく科野にやや多い横線文。肩部には縄文が施されている。 [1] p.722 富岡市教育委員会 1997『南蛇井増光寺遺跡Ⅴ』本文編の地図のⅤ期の住居が該当する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.11.18 09:11:18
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