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カテゴリ:東海道五十三次
東海道五十三次 六日目
今日の予定は神奈川の宿から保土ヶ谷の宿まで 京浜急行で横浜の次の駅、神奈川まで向かう電車の中で五十三次旅の心得を考えてみた。 1、食べ物の贅沢をしない。旅賃を考えて粗食に甘んじる事。 2、先を急がない、道のりは長い。 3、疲れたら休もう、路傍の石の上でも良し。 4、歩けなくなったら潔くギブアップしよう。電車はいつも隣を走っている。 5、衝動買いはやめよう!道中荷物が多くなる。ほしいものを買ったら、京都に着く頃には トラックいっぱいになってしまうかも。 6、無駄遣いをしない。旅の費用が無くなったら行き倒れ! 7、友を見つけよう。かもめでも、犬でも、ネコでも。旅は道連れ。 などと、色々かっこよく考えてみたけれど、多分無理! ほとんど無理!特に1、5、6、は絶対無理だろうな。意思の弱い私だから。 4番は間違いなく守れそうだけれど・・。 そんなことを考えていたら出発の駅、神奈川に着いた。 では、しゅっぱーつ。 線路を渡り東海道に入ると道はずっと上り坂になっている。横浜駅は左下のほうになる。旧東海道は道のすぐ左から海岸になっていたそうだから、今の横浜のにぎわっているところはすべてかっては海だったことになる。ちょっと信じられないような・・。 昔の人は高台から海を眺め、現代の人は横浜の街と港を見る。 坂の途中に老舗料亭田中屋が有る。創業1863年で広重の東海道浮世絵には前身の「さくらや」が描かれている。 ![]() ![]() 夫がかって行ったことがあるというので「高かったでしょう?」と聞いたら、御馳走されたから分からない。」と言う。逆に「そのとき店でもらった東海道の浮世絵のついたファイル上げただろう」と言われた。あれ?あれがそうか。自分が東海道歩いていて今興味があるから気になるが、何の興味も無い時は感心も沸かないのね。物事ってそんなものなのだ。そうやって人生、素敵なことも、大事なことも見落として過ごしてきているかもしれないなあ。 神奈川台街道沿いには関門の跡、一里塚の跡、茶屋の跡、歴史の道案内板などが、現代の旅人を江戸時代に案内してくれる。 横浜の繁華街の外側を歩いている。程なく大山道との分かれ道、昔は道が分かれるところは追分と道しるべが立っていた。私は昔から追分と言う言葉が好きだ。 咲いているのは みやこぐさ と 指に摘んで 光にすかして教えてくれた 右は越後へ行く北の道 左は木曾へ行く中山道 立原道造 夏の歌 から「村はずれの歌」である。 ここで歌われているのは、軽井沢にある信濃追分。 北国街道と中仙道の追分だ。 東海道は明るい。海に近いせいだろうか、向かうのが京の都だからか、北国のような寂しさは昔もそんなに感じなかったのでは無いだろうか。 おっと、こちらも横道にそれた。 にぎやかな活気にあふれた商店街、松原商店街。 いつしか保土ヶ谷の宿に入る。 おや?江戸方見附はあったかな? 歴史の道案内板に導かれながら先に進む。 ![]() あっちょっと休憩。 犬連れで入れるカフェで人の犬を見ながらコーヒーを飲む。 あれ?お昼は食べたかな? ああ、そうだ今日は朝食抜きで病院で検査のため採血してから旅に出たから、病院の後ブランチにしたんだった。危ない、危ない、食べたことを忘れるようじゃ。 ついでに、そのカフェで毎日曜日訪問してくれるゴールデンのチェルシーにお土産の犬用クッキーを買う。 問屋場跡、高札場跡などもうすっかりおなじみになった名前を確認しつつ進む。 金沢横町道標 金沢八景方面に分かれる辻。 ![]() 本陣跡で大きく曲がりなおも進むと脇本陣大金子屋跡、脇本陣藤屋跡、水屋跡、旅籠屋本金子屋跡が有る。江戸時代とまでは行かないがなかなか趣のある家だ。 旅籠本金子屋跡。 ![]() 茶屋本陣跡もあり、昔の保土ヶ谷の宿はかなり大きかったことをうかがわせる。 上方見附で宿を出るとそこには復元一里塚がある。日本橋から8里。 そして今日の一番のクライマックス権太坂へ。 箱根駅伝のファンなら知っている 花の2区にある心臓破りの坂だ。選手が通るのは車が通る新道。私が通るのは旧東海道の細い道。 ![]() 権太坂の途中には高校や小学校がある。 生徒は毎朝坂登り大変だ。 そして私も足ががくがく、息はハアハア。 やっとの思いで上りきると見晴らしの良い丘に出た。 晴れた日は富士山も見えるだろう。 旅人が坂を登りきり、富士を眺めてほっとする気持ちが良くわかる。 境木地蔵尊で本日はギブアップ。 今日からはJRでの帰還になる。 JR東戸塚まで歩いて15分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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