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カテゴリ:東海道五十三次
東海道の旅、みんなに宣伝してしまったので、会うたびに聞かれる。「どこまで行った?」
そしてまたアメリカ人の友人2人に宣伝してしまった。 進んだらアメリカにメールを打てと言われた。彼女達東海道浮世絵トランプを持っているので「宿場の漢字が読めないから、スペードの3まで行った」のように報告しろと言われた。 日本人の友達は旅の途中からメールしろと言う。 応援団がすごいね。 これでは簡単にギブアップ出来ない。 今回は藤沢駅から出発。 前回降り立つ駅はどこか懐かしい駅と書いたが、ひょっとしたら、もう2度と降りることの無い駅かもしれない。 駅から東海道まで歩いて10分。 出発点は遊行寺 一遍上人の時宗総本山だ。 庭には八重桜が咲いていた。もちろん御朱印も頂く。 玄関に花の種がたくさん入った箱が置いてあった。 御自由にお持ちくださいと書いてある。 インパチェンスの種を頂いた。 時々昔に思いを馳せることが出来そうな古い家も残っている。 途中に道の右側に大きくそれる道がありその入り口には鳥居が建っている。 「大山道」だ。大山阿夫利神社に通じる道。江戸時に特に浅草界隈の庶民に大山に詣でることが流行ったそうだ。みんな講を作って出かけて来て、この地の人たちも村を上げて旅人をもてなしたそうだ。 ところで、このあたりを歩くと道路のところどころに旧東海道の松並木がかなり見られるようになる。ずっと続いているわけではないが、時々10本20本と保存されている。 今の道路は急東海道を掘り下げて平らに作ったらしく。旧東海道の松が植えられている歩道は少し上がっている。そしてかなり上下にでこぼこしたり、右左に曲がり、松の保存に合わせて歩道を作ってある。 歩道のど真ん中にあったりするからよそ見をしているとぶつかってしまう。 町の人々が東海道の松を保存する執念はすごいものがあってビックリする。 例えばこれ! 建物を建てる時曲がった松がじゃまだった事だろう。 だって、根元は歩道の中にあるが、その先は大きく曲がって一般人の所有する敷地に入り込んでいる。この写真の松の先はどうなっているか。 この建物の所有者は松の位置を避けて設計したんだろう。 松のところを空間にしてテラスを持ってきた。 ここの他にも松を避けて建物を奥に下げたり、屋根を工夫したりしているところを見かけた。 自然や歴史はみんなで守る財産。 松の一本一本に保護のナンバーと保存のための薬剤などの注入月日や薬の名前などが書かれているプレートが貼られている。 この日街道沿いを歩いているとおいしそうなレストランを見つけた。 うーん節約しなきゃ、だけど、おいしそうだし、朝はジュースだけだったからいいか、なんて、結局一度通り過ぎたレストランに戻って昼食。 食べたのは本日のランチ850円。 カウンターで食事しながら常連客とマスターのデミグラスのソースの作り方談義に参加させてもらう。アスパラにかけるバターを使ったソースの作り方も教えてもらった。今度試してみよう。 東海道を歩いて8日目いつしか花は桜から八重桜、藤、ボタンに移ってきた。 相模川(昔の呼び名は馬入り川)を渡って平塚に入る。 川を渡ってすぐにおいしそうな和菓子屋が有ったのでついふらふらと入る。 「ちょんまげ最中」と「馬入の渡し」という名のついたお菓子買う。 いかにも東海道らしい名前だ。 お店の人に聞くと、その昔国府祭から帰還途中の寒川神社の神輿と平塚八幡宮の神輿を担ぐ若者がけんかをして、馬入りの若者達が寒川のみこしを馬入り川に投じるという事件が起こり、下手人16人が打ち首に決まった。処刑の日代官はそのちょん髷だけ切り落とし、打ち首に代えたという。 いい話だなあ。毎日殺人事件のニュースがある現代。世の中にこんなゆとりが有ったらな。 平塚の宿はまだ先だが今回はここまで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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