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カテゴリ:東海道五十三次
東海道五十三次 三島から由比へその2
富士駅前のホテルから朝富士が綺麗に見えたのに、富士駅で8時半の電車に乗る頃には富士はすっかり雲に隠れてしまった。今日は富士の麓を歩くのに富士無しの旅ですこし寂しい。 富士駅からJRで一駅戻り昨日電車に乗った吉原の駅から出発。 ここから製紙工場の煙突を目印に富士に向かって東海道の旅。 位置関係がすこし難しいが、吉原の宿はもともと海の近くにあったのだが津波によって被害を受け2回宿場替えをしてだんだんに内陸のほうに移動している。だから今日のコースはぐるっと大回りをして内陸寄りにある朝出発した富士駅の近くを2時間後に通過することになる。 「パスして富士から出発したら」という夫の声も聞こえてくるがそこは無視。 今日の道は親切な道しるべが少ない町なので道を間違いやすいとガイドブックも書いているが、案の定吉原の駅を10分も歩かないうちに鉄道の線路の下の分かれ道で早、迷った。 それでも左富士神社に無事到着。 京都に向かって歩いているから富士山は常に自分の右手に有るはずだが、ここから新吉原に向かって道が曲がっているので富士山が左手に見える箇所があるのだ。神奈川の南湖にも同じようなところが有った。 神社の前にある酒屋で面白いものを見つけたので重たかったが購入。 ちょうど元吉原、新吉原、吉原町ではかなり大きなお祭り(けんか神輿もあるそうだ)が有って、何台もの各町内会のお囃子に追い越された。屋台もたくさん出ていて町はお祭りムード。 そしてこんなところにも。 それにしても東海道の道しるべが少ない。 今日は自分の感だけが頼りだ。 それでも無事吉原宿を通過し、潤井川を渡る。 すこし歩くと急に夫が 「歴史の道はこっちだって」と道しるべを指差す。 おかしい、地図には東海道はまっすぐになっている。しかし「すこし先で歩道は車道でさえぎられ大きく迂回しなければならない」 とガイドブックに書いてある。あるいは親切にすこし先の迂回路を示しているのかもと50%は疑いつつも夫の顔を立ててしたがうことにした。50%の疑いは、夫は非常な方向音痴であること。 そして、やはり道に迷った。あいにくの曇り空、私の得意な太陽の方角で地図との位置を修正することも出来ない。40分ほど彷徨って、ふと渡った川を見ると40分も前に渡ったはずの潤井川の名が・・・。再び同じ川を渡っているではないか・・・。 ちょうど歩いて来た親子連れに道を聞いて軌道修正する。 供のものをまた角さんから喜多八に格下げしようかとも思ったが、途中のコンビニで大福を買ってくれたので身分は据え置き、バス停のベンチで食べる。乗客かと思われてバスが止まったが、2人であわてて乗らないと打ち消す。 再び朝出た富士駅のすぐ脇を通過する。 なあんか迷ったこともあって、まだこんなところかとちょっとがっかり。 迷っていたので下の道祖神、どこにあったか記憶にない。 まあ、いいじゃないかと道祖神に言われているようだが・・。 駿河の大地主旧松永邸跡の道しるべ。 江戸からは着実に離れている。京都三条大橋には近づいているはず。 江戸から34里半8町(144,4キロ)京都三条まで90里30町(357キロ) 富士川を渡る。 鷺と思われる鳥が川の中にいた。振り帰っても富士山は見えない。 川を渡り、河岸段丘を登ると東海道は一変する。 歴史を感じさせる道と親切な道しるべ、ところどころにある秋葉灯篭が旅人を導いてくれる。 窓が逆ハート型 岩淵本陣跡では、 「どうぞ御自由に見学ください」と書いてあるので中に入ってみさせてもらった。 本陣を過ぎると道が大きく曲がるところ、両側に江戸から時代そのままの大きく育った一里塚があった。 道は蒲原宿に向かって山際に近づき、周りの風景は緑が多く寂しい田舎の風景になっていく。 そして、新幹線をくぐるが、音が怖くて通過時はくぐれないので電車が通り過ぎてからくぐる。 次は一気に坂道を登り、しばらく並走してから東名高速道路の上を渡る。 どちらも現代の旅人達が夢のような速さで旅を続けているのだろう。 昔の人がこの光景を見たらビックリすることだろうな。 東名を渡るとすぐまた昔の世界に一気に引き戻される。 東名を渡るために登った坂を反対側に下りると。そこは蒲原の宿。 大きな広重浮世絵の看板が出迎えてくれた。 広重は蒲原の大雪の様子を描いた。、このあたりではこんな大雪は降らないとか、こんな風景は蒲原では見られないとか言われているが、広重を代表する絵には違いない。 旅人のために小さなスペースにベンチが用意されていた。 地元の子供達が川遊びするのを見ながら蒲原の宿に入る前にちょっと休憩。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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