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カテゴリ:東海道五十三次
東海道の続き 14日、いよいよ4日連続歩きの最終日。どこまで歩けるか。 前夜、ringoさんに会うため明日の約束をする。ringoさんは「自動車だからどこからでも電話してください」とおっしゃってくださったが、もし会えないといけないので、こちらが「時速3.5キロ」なのでお昼頃会いましょうと伝えておいた。 追分を8時半頃出発。 中仙道と東海道の分かれ道。ここを北にずっと行くとやっぱり日本橋に着く。 「どうしよう。東海道ももうすぐ終わりだね。次は何をする?」 土山のお蕎麦屋さんでのマスターとの会話を思い出す。「ここを通られた皆さん、次は色々やられていますよ。中仙道とか、東海道逆戻りとか、四国四十八箇所めぐりとか、日光街道とか」 「私達は東海道が終わったら中山道の旅でもする?」 そして中仙道を背に京に向かって出発したのであった。何はともあれこの旅を完結させなければ。 本日も快調。草津の宿はあっとうまに抜けてしまった。うーん、ringoさんには「お昼に会いましょう」と言ったが、このペースで歩けば、昼には瀬田の唐橋まで行ってしまう。まずい!我ら現在時速4キロ。 そこでringoさんに電話を入れる。セブンイレブンで会いましょう。そして現れたringoさんとコーヒーショップでお茶を飲む。初めて会うのになんだか懐かしい。互いに互いの色々なことを、それぞれに起こったいろいろなこともブログで知っているからかもしれない。 ringoさんは言った。「東海道を歩いていても琵琶湖は見えませんよ。時間が大丈夫なら今から、ちょっと琵琶湖が見えるところまで連れて行ってあげましょう」 琵琶湖だ! そして、残しておいたメモリの枠でツーショット。たった1枚の写真だけれど、後で見ると、私は目をつぶっていた。 ringoさんにまたセブンイレブンまで送ってもらって、そこから再スタート、東海道五十三次。
瀬田の唐橋。 京都に向かうには、琵琶湖を矢橋から船で渡ったほうが早いが、突風に会って引き返すことも多いので、回り道して瀬田の唐橋をわたるほうが賢明という。 「急がば回れ」の諺が生まれた地なんだと、ringoさんに教わった。 三上山のムカデ退治の俵藤太の前に竜宮の姫が変身した大蛇が現れたのはこの橋。 東海道の旅、三上山の近くも通ったし、ムカデ退治の話も水口からこちら、道中にちらほら案内板などが有ったため、いつムカデが現れるか、いつ竜宮の姫が現れるか楽しみにしていたのだった。 しかし、その頃は12時前だというのにすでにお腹がすいて来た。 夫はいつものようにレストランを探さない。何故か? 実はringoさんに会った時、彼女がTV で見た逢坂の関の鰻屋の話をしたのだった。 「鰻屋までどのくらいかな。そこまで我慢して、そこでご飯食べようかな」 まったく、東海道の地図関係なく付いて来る夫には逢坂の関がどこにあるか分からない。まあ、いいか。そこで私達は鰻まで昼食を我慢すべく、rinngoさんにお土産にもらったクラブ・ハリエのクッキーで空腹を満たす。 穴の開いたところに食べたクッキーが入っていた。 大津宿近く、曲がって、曲がって、曲がって、ここ城下町?。琵琶湖の形に道は曲がっていく。だけど琵琶湖は見えない。 「逢坂の関は後どのくらい?」夫が聞く。 「大津宿を抜けてまだ行ったところ」私が答える。 「えー!そんなにあるの、鰻は次回だ。もうご飯食べよう」 あえなく沈没。東海道上に有った餃子の王将でランチ。2人とも初めての店だ。そして2人とも食べ切れなくてご飯を残す。「一度入ってみたかったんだよね。でも、もういいかな」 これやこの 行くも帰るも 名残おし 知るも知らぬも 逢坂の鰻 ウサギ 実は蝉丸のこの歌(実際は違う)夫の百人一首、十八番なのである。 王将を出て、それからというもの、無口にただひたすら歩く。「義仲寺だよ。拝観しようよ。」 「拝観料取るから行かない」鰻よりずっと安いと思うけどな・・。「三井寺すぐだよ。寄り道しよう」 「行かない」 鰻が食べられないと分かったのががっくり来たのか、急に戦意を無くした夫は大津の駅前から、直角に東海道を戦線離脱して、まだ2時だと言うのに京都から帰宅の新幹線の時間変更して、さっさと京都行きの電車に乗ったのだった。 残した距離は京都三条大橋まで11.8キロ。 「そんなに残したの?」と言う次女の声が聞こえてくるような。最後の仕上げは家族で一緒にやろうね。
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