海に咲く花(四) 21
家に帰ってからも、おじいちゃんは何度も、一人でぼやいていた。「耕ちゃんは、何をするか分かったもんじゃ、ないなァ。東京に行く時は、塁と一緒じゃなくちゃなァ。耕ちゃんと一緒じゃなくちゃ、塁はもっとみんなの中に入れなくなってしまうからな。みんなが、今、一緒にスタートすることが、大事なんだ。塁は、スタート遅れてはいかんのだ。今なら、みんなで作り上げていけるんだから、な」 おじいちゃんは、ぼくに言ってるのか、自分に言っているのか分からない。突然、大きな声で、ぼくを呼んだ。「塁ッ。塁、ちょっとここに来い!やっぱりお前、すぐにでも、東京に行けッ。遅れれば遅れるほど、もっと、みんなに、溶け込めなくなってしまうからな。耕ちゃんなら、すぐに溶け込めるから心配ないんだ。行くか?塁。『時』、が大事なんだぞ。この時を逃したら、お前はもう、もっと母さんたちの中に入りにくくなってしまうからさ。もう、決心して、行けッ。なッ?塁!母さんとは他人な訳じゃないんだ。お前のその考え、間違ってるぞ!」 ぼくは、黙っていた。黙っているしかなかった。「行きたくない」と千回言っても、おじいちゃんは、千回「行け」としか言わないだろう。「何で、黙ってるんだ?塁、行けッ。なッ?頼むから、行けッ」 おじいちゃんは、ぼくの気持ちを揺さぶるように、真剣だった。目の淵に、じんわりと涙が引っ張り出されていた。でも、もうぼくの気持ちは動かない。「おじいちゃん。ぼくは、百回も千回も言ってるよ。行きたくないって。行きたくない、行きたくない、行きたくない!」「また、お前はそんなことを言ってる。何で行きたくないんだ。山中さんは、あんなに良い人なんだぞ。あんなに良い人は、滅多にいるもんじゃないんだ。じいちゃんは、感謝してるよ。耕ちゃんだけでなく、お前のことも、気持ちよく引き受けてくれてな」 耕ちゃんだけでなく、ぼくもと、おじいちゃんは言った!ぼくは、少なからずショックを受けた。ぼくは、付け足しなんだ。やっぱり、だ。おじいちゃんだって、ぼくが母さんと血がつながっていないことを気にしているから、そんな言葉が出るんだ。「ぼくは、母さんの本当の子じゃないから、行けない。ぼくは、誰とも、血がつながっていないから」「お前は、耕ちゃんとつながっているだろ?何を言ってるんだッ」「でも、耕ちゃんは母さんとつながってる。ぼくは、それが悔しい。ねぇ、おじいちゃん。ぼくは、どうして、母さんと血がつながっていないのッ?どうしてッ?どうして、こんなことになったのッ?父さんが、消えなかったら、ぼくは、こんなことにならなかったんだ!例え、母さんと血がつながっていなくたって!そうでしょ、おじいちゃんッ?行きたくない、ぼくが悪い訳じゃないよねッ?ぼくは、大好きな父さんが消えてしまうなんて、一生、一生思ってなんかいなかったんだ!父さんが消えて、母さんが本当の母さんじゃないことが、分かった時、ぼくがどんな気持ちだったか、おじいちゃん分かるッ?みんな、ぼくに隠してたくせに!」 おじいちゃんは、深く息をした。そして、涙で滲む目を、しばらく閉じていた。「塁。お前は、これから大人になっていく。相談する人が必要になることもあるし、教育だって受けさせてやりたい。お前の将来には、山中さんは、どうしても必要な人なんだ。じいちゃんは、お前の面倒、見てやるだけの力はないんだ。悔しいけど、なッ。許してくれよ、なッ?昶は、人を助けて死んだ。仕方のないことなんだ。今更、何を言っても、あの頃には戻れないんだ!塁、前に進んでいくしか、道はないんだよ。人間、みんな、前に、前に進むことが大事なんだ。今は苦しくても、必ず、良かったと思える時が来るから、なッ。負けては、いけないんだ。人間と言うのは、な。苦労して掴んだことが、基礎となり、土台となるんだ。そうして、力をつけて器を大きくしていくものなんだ。そしてな、他人の気持ちが、分かるようになる。今の時代は、他人の痛みの分からない人が多くなってきている。住みづらい世の中だ、まったく。だから、塁には、器の大きな人になってもらいたいんだよ、じいちゃんは、な。お前の将来のことが、心配で心配でならないんだ」 おじいちゃんは、ため息をついてそう言った。そして、仕方なさそうに、笑いながら、ぼくの背中を撫でた。「塁ッ。じいちゃんは、死ぬに死ねないぞ、お前が心配で、な」 ぼくは、ずっと、みんなに苦しめられてると思ってきた。でも、おじいちゃんの話しを聞きながら、ふっと、みんなを苦しめているのは、ぼくなんじゃないかと、思った。 父さんと、ぼくを生んで間もなく亡くなってしまった人(もう一人の母さん)は、宇宙の何処にいるのだろう。一緒に空の彼方にいるのだろうか。海の底に安住しているのだろうか。そこに行くには、どうすれば辿りつけるのだろう。父さんと、見たことのないもう一人の母さんに会いに行くには? 第四章 終わり