海に咲く花(五) 8
ぼくもイケも、お互いに、ここにいることさえ忘れてしまっていた。話すことも、考えることも。息をしていることさえも。そして、穏やかで、心地よい幸福感に満たされていることにも、気づかなかった。 どれぐらい、そうしていたのだろう。 ぼくは、徐々に自分を取り戻していた。充分な眠りから、覚めたような爽快感で。深い海を彷徨ってきた花のことを、ぼくは思った。伝説の花は、本物の花だった!何百年に一度しか咲かない、誰も見たことのない花。そんな神秘の花を、今、ぼくたちは見ている。でも何故、ぼくたちが見られたのだろう!誰が、ぼくたちに見せてくれているのだろう!ぼくは、花を見つめながら、考えていた。 見せてくれたのは、もしかして父さん?・・・・。・・・。違う。父さんでは、ないんだ!ぼくは、そう思い始めていた。父さんに、何かをしてもらおうなんて、間違ってるんだ。いつも、ぼくは何かを期待して待っていた気がする。父さんは、ぼくに、何かをしてくれることなんて、もうできないんだ。助けてくれることも、救ってくれることも。ただ、手の届かない所から見守ってくれることしか。でも、ぼくには父さんにできることが一つだけある。それは、父さんを安心させることだ。父さん、ぼくは、もう大丈夫だからね。だから、安心してね。父さん、さようなら。さようなら。 この不思議な花に巡りあえたのは、誰かがそうしてくれたからじゃないのかもしれない。ぼくが、ぼくだから、だ!イケが、イケだから、なんだ!だから、見られたんだ。宇宙を動かしている計り知れない大きな力の中に、小さいけれど、大切な一員として、ぼくたちは生きていたからかもしれない。生きているから、見られたんだ! 花は、かがやくように白かった。二つの花は、掛け替えのない友だちのようだった。大きさは、ぼくが一人乗れそうなぐらいあった!花全体が、角が丸くなった星の形をしていた。花の真ん中には、ぼくの手のひらより大きい、透明なボールのようなものがついていた。ボールの中には、たくさんのしべが、楽しそうにひしめいていた。一本一本が、茶色、灰色、緋色、紫色、朱色、墨色、深緑色、黄緑色などで、数え切れないほどだった。離れてみると全体が、クロユリのような色をしていた!波で、揺れるたびに、その色は濃くなったり、薄くなったりした。花の縁は、金の絹糸で丁寧に縫われてでもいるようだった。しべの中央からも、花の五つの先端に向かって、もっと細い金の絹糸が葉脈のように走っていた。花は、浮かんだり沈んだりするたびに色を、白から、薄い緑色にかえる。絹糸も、金の糸から銀の糸に、とかわったりする。花がもっとも美しいのは、波に引き込まれて、浮き上がってくる瞬間だった。白く、かがやくのだ。花が、ぬるりとしていたことには、びっくりした!花は、やっぱり、生きているのだ!花も、大切な宇宙の一員なのだと思った。ぼくはまだ、花の下に、褐色の葉があるのに、気づいていなかった。花しか、見ていなかったからだ。 海で生きる花は、大地で生きる花よりも、過酷な中を泳ぎ続けているのかもしれない。何故、この花は、海に咲かなければいけなかったのだろう。何て、不思議な花なのだろう。 どぼんッ。飛沫が、ぼくにかかった。イケが飛び込んだのだ。「ルイ、すげー。葉っぱ、昆布みたいだぞ。お前も、飛び込め!」 ぼくは、ちょっと怯んだ。また、溺れてしまう。「溺れたら、また助けてやるからさ。飛び込めよ!」「うん!」 ぼくは、勢いよく、飛び込んでいた! つづく