絶唱
(1)
九四年の夏を私は忘れることができない。
日本第二位の高峰、北岳を登り終えて帰宅した私を待っていたのは悲しい知らせだった。あまりに突然のことで、遭難の知らせの電話を握ったまま、しばらく立ちつくしていた。帰宅の翌日、告別式に参列した。遺体は現地で荼毘に付され、お骨となって白布に包まれていた。残された者には辛い別れが待っている。愛する者との別れほどせつなく、辛いものはない。告別式の朝、ご主人が涙を堪えながら挨拶した。
「妻は山が好きでした。その山で命を落としたのですから、本望でしよう。妻は幸せな一生でした。」
山に魅せられ、山を愛し、こころに花を咲かせて、いつも笑顔の絶えぬ人だった。
トムラウシ山は北海道の尾根、大雪山系の最奥にある。山頂には巨大な岩が累々と重なり、そこに至る稜線には瞳のような湖沼が点在している。
その山に友と登ったのは九〇年八月の事であった。雄大な山の広がり、山麓を埋め尽くす高山植物の群生は、友の山への想いを募らせるのに充分だった。
その後、友は、海外の山々をはじめ、国内の山々にも次々と足跡を印してきた。近年は、ご子息が海外青年協力隊員として活躍されているケニヤに聳えるアフリカ最高峰キリマンジェロに登頂することが夢なんですと、明るく語っていた。
夢を実現する前に、もう一度、山への想いを募らせてくれた山、トムラウシ山への再登を思い立ったのだろうか。雪渓のまだ残る七月、トムラウシ山に続くクワウンナイ川を遡行、横断中転倒し、雪解け水に二〇〇メートルも流され、帰らぬ人となった。
悲しみのなか、友が青春時代によく登ったと言っていた北アルプスに入ったのは告別式から一〇日目のことである。
信濃大町から高瀬ダムを抜け、鳥帽子岳、野口五郎岳、水晶岳、鷲羽岳を越え、槍ケ岳の山頂に立った。強い風が谷から吹きつけ、岩肌は冷たかった。友が幾度となく立った山頂からは、友が幾度となく踏んだ山々が俯瞰できた。その山々のいたるところ、砂礫地にも、崖っぷちまでも、僅かばかりの土に根を張り、小さい葉や茎に水滴をつけ、雪にも、風にも、嵐にも耐えて、花が咲いている。友が愛した花が今日も咲いている。
君の分まで生きるよ、そう、つぶやいたら、とめどもなく涙が溢れてきた。
94・12・19