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私訳・源氏物語

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October 11, 2021
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 深夜、遠藤周作の未発表作品についてのTV番組を見た。両親の離婚後の父親との相克、そして一人アパートで亡くなった母親に対する彼の気持ちなどが綴られていたように思ったが、中で気になったのが「生活と人生は違う」という意見だった。生活は生きるための活動であり、人生は高みを目指す精神活動である、と表現されていたように思うのだが、どうも男性特有の生活感のなさ、要するにおさんどんや洗濯や掃除など女が日常で当たり前のようにこなしてきたことに対する軽視あるいは欠如を、私は感じないわけにいかなかった。

 私の場合だが、好きな人と結婚するためには家事炊事をしなくてはならない。それを覚悟で、ある意味諦めて結婚を選んだ経緯がある。だから生活と人生に一線が引かれているなどと思えないのだ。女にとって毎日ついて回る家事全般が生活であり、人生はその生活の果てしない連続であって、決して切り離せるものではない。しかし男は違うのだ。だいいちおさんどんをしなくて済む。毎日洗濯機をまわす女がいてこそ清潔な衣料が用意されるのであり、食事の用意をする女がいるからこそ食欲を満たすことができ、命をつなぐことができるのだ。それを人生の高みとやらから、見下されてはたまらない。もちろん最近はリタイアしたシニアの厨房男子がいることも承知だが、それだってごく少数でしかない。

 彼の母親はヴァイオリンのために、生活に係わるすべてを捨てたそうだ。そうして息子の周作には「アスファルトの道より歩くに困難な砂浜を行け、砂浜には自分の足跡が残るから」と言ったそうだ。晩年は小さなアパートで眉間にしわを刻んだ顔をして、一人亡くなっていたという。私は生活を大事にする父親と音楽を第一に考え、高みを目指す母親の離婚は必然的な結果であったろうと思った。周作は父の再婚を嫌悪し、一人死んでいった母親に哀れを感じたらしいが、母親に同情するのは、ある意味で失礼ではないかと感じた。なぜなら安定より高みという精神活動を自らが選んだのだから、それがたとえ足跡さえ残らぬ苦渋に満ちた人生であったとしても、本望だと思わなくてはならないからだ。

 女が高みを目指すことに反対はしないが、生理的な違和感は覚える。生きるということの本質には食べて、排泄して、仕事をして、清潔で健康で居心地のいい居住空間をつくることにあると私は考えている。その単調な生活感が基礎となっての人生であり高みであるように思うのだ。「精神の高みを目指す人生」などと大上段に構えなくても、毎日同じような日常生活の繰り返しの中でこそ、地に足の着いたひらめきが得られるのだと私は信じている。






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最終更新日  October 11, 2021 06:06:18 PM
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